【伝説のプレーヤーたち】世界女王 大川とみの真実のストーリー
The Legends 第1回 大川とみ(1956年世界チャンピオン)後編
卓球王国2012年8月号掲載
1956年、世界選手権東京大会で、日本代表に名を連ねた大川とみ。
ついに勝ち上がった女子シングルス決勝、試合前に恩師から一通の手紙が届けられた。
「試合が終わるまで読むな」
謎の伝言とともに託された手紙の、一行目に記されていた言葉とは?
日本女子初の世界女王・大川とみと、名伯楽・矢尾板弘、その信頼関係がいだドラマのような、真実のストーリー。
Text by
柳澤太朗Taro Yanagisawa
「ぼくに弟子入りしたからには、ぼくが倒れるか、きみが倒れるか。どちらかが倒れるまでやれるか?」 (矢尾板)
矢尾板先生の話をひとつ聞くとわかることが十くらいある。それが本当にうれしかった
「矢尾板(やおいた)先生は本当に偉大な指導者だったと思います。卓球に対する知識と情熱は本当にすごい。唯一無二(ゆいいつむに)の存在でした」
亡師(ぼうし)・矢尾板弘に対して、大川とみの尊敬の念は今なお揺るがない。
卓球メーカー・ヤサカの創業者のひとりで、日本大学卓球部の監督を務めていた矢尾板弘。戦前の日本卓球界の草創(そうそう)期に選手として活躍し、戦後は指導者として卓球ニッポンの黄金時代を支えた名指導者だった。
54年の世界選手権ロンドン大会で優勝した荻村伊智朗、55年ユトレヒト大会で優勝した田中利明は、ともに日本大卓球部で矢尾板の薫陶(くんとう)を受けた教え子。さらに56年東京大会で、大川とみを日本女子初の世界チャンピオンへと導いた。
「ぼくに弟子入りしたからには、ぼくが倒れるか、きみが倒れるか。どちらかが倒れるまでやれるか?」