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【セカンドキャリア】矢島淑雄 「40数年の卓球人生。卓球をやっていない自分を想像できないですね」

[全日本ジュニアチャンピオン・全日本ベスト8/中央大総監督]

2024年2月号掲載「セカンドキャリア。選手たちのその後」より vol.3

創業100年を迎える製パン所の妙力堂の四代目代表取締役社長を務める矢島淑雄。
名門・熊谷商業高時代には全日本ジュニアチャンピオンズになり、中央大から川鉄千葉と進み、日本リーグでも活躍。
28歳の時に兄を失い、家業を継ぐことになるが、卓球においては数年間、プロ選手として活躍。現在は母校・中央大卓球部の総監督を務める。

Text by

今野 昇Noboru Konno

[やじま・よしお]
1969年5月17日生まれ、埼玉県出身。熊谷商高時代に全日本ジュニア優勝。中央大、川鉄千葉、東京アートを経て、健勝苑でプロ選手となる。全日本選手権で6回のランク入り、うちベスト8に1回、ダブルスでは準優勝。37歳で第一線を退き、家業である妙力堂製パン所を継ぐ。2024年には創業100年を迎える製パン所の四代目代表取締役社長であり、トップおとめピンポンズ名古屋のコーチ(2020~2022年)や、母校の中央大卓球部の総監督、兼女子監督も務める

中央大総監督、兼女子監督を務める矢島

人として魅力があれば人は寄ってくる。人として魅力がなくて、落ちていき、消えていった人を何人も見た

数多くのチャンピオンを生んだ名門・熊谷商高で鍛えられ、中央大、川鉄千葉、東京アートと卓球エリートの道を歩んだ矢島淑雄だが、28歳の時に5歳上の兄を失い、現役を引退後は家業の製パン所を継ぐことになった。

 5歳上の兄貴が中学校で卓球を始め、ぼくも小学5年生の終わりから、川口卓球ジム(埼玉)というクラブで練習していた。中2の全日本カデットでベスト8に入り、兄貴も熊谷商高に行っていたから自分も熊谷商高に進みました。

 大学を選ぶ時には、2歳上の渋谷浩さん、松下浩二さん、雄二さんが明治大にいたので、強いチームに行っても目立たないし、強い選手を倒したいと思っていたので、中大(中央大)を選んだ。大学を卒業して、川鉄千葉に5年いて、その後、東京アートに4年、そして、プロ選手(健勝苑)になったんです。

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