呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
【伝説のプレーヤーたち】中国を震撼させた男 高橋浩(前編その2)「プレースタイルや考え方はものすごく異端だった」
The Legends 第3回 高橋浩(1965年世界ランキング4位)
卓球王国2012年11月号掲載
Text by
今野昇Noboru Konno
徹底して、そして単純に「勝つために何をすべきか」を考え、閾値を超える「アップダウンサービス」を開発
高橋の練習は「勝つために何をすべきか」という論理で内容が考えられた。当時の日本チャンピオンは絶対的なエースボールと言うべき武器を持っていたが、自分には田中利明のようなスマッシュも、木村興治のようなフットワークやドライブもない。ならば、自分は何で得点を狙うのか。そのためにどういう練習をするのか。その答えを彼は全日本合宿で見つけていた。そして取り組んだのがシステム練習だった。
当時の日本には、システム練習という言葉すらなかった時代。20 分間という短い時間で、実際の試合と同じようなサービスや返球を想定し、それに対する攻撃の精度を高めていく「練習イコール実戦」の内容だった。その中で高橋は3 球目をバックハンドで狙う練習に多くの時間を費やした。
現役を退いて間もない70 年、藤井基男(故人・卓球史研究家/当時は卓球レポート編集長)のインタビューで高橋はこう答えている。