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【セカンドキャリア】谷口陽一「卓球をやっていなかったら今、教員はしていない。自分の教員としての考え方を作ってくれたのは卓球です」

[全日本社会人ダブルス優勝/ 粉河高教員]

卓球王国2024年4月号掲載「セカンドキャリア。選手たちのその後」 vol.7

中学の部活動で始めた卓球。大阪府大会に出たのは一度だけ。その4年後にはアジアジュニア選手権の代表になり、谷口陽一の人生が変わった。高校生の時に、体育の先生に憧れていた谷口。日本リーガー、プロ選手を経験した後に33歳で公立高校の教員になった。セカンドキャリアまでの道のりは平坦ではなかった。

Text by

今野昇Noboru Konno

[たにぐち・よういち]
1977年2月9日生まれ、大阪府寝屋川市出身。寝屋川市立第二中、大阪桐蔭高、筑波大卒。実業団・和歌山銀行、日産自動車を経て、和歌山県粉河高の教員へ。アジアジュニア選手権日本代表、2000年全日本社会人選手権3位、2002年同大会ダブルス優勝、2001年全日本選手権男子ダブルス3位

試合に勝つのは大変だけど、負けるのは簡単。子どもたちに卓球を通じてしんどい時に踏ん張れる力を身につけてほしい

野球少年だった谷口陽一は、中学で卓球部に入部。そこで卓球の面白さに惹かれた。中学時代は3年の大阪府大会2回戦敗退。これが彼の中学での最高成績だ。しかし、卓球を本格的に始めて4年後にアジアジュニアの代表になった。

 少年野球をやっていたけど、中学に野球部はなく、部活動で卓球を選びました。団体スポーツの野球から個人競技の卓球に変わって、卓球だと自分の試合なら全部自分がボールに触っている。これが自分に合っていて、楽しかった。

 中学の部活動だけでなく、寝屋川の市民体育館に行って、町の卓球好きのおじさんたちと一緒にやらせてもらいました。そこに近畿大OBの折戸栄さんという方がいて、教えてもらった。中3の全中予選で初めて府大会に出て、2回戦で負けました。

 当時、大阪にOSJ(大阪スーパージュニア)という星野展弥さん(元世界ダブルスチャンピオン)と江口冨士枝さん(元世界チャンピオン)が大阪府の選手を世界に送るという目的で作った強化グループがあって、そこに行っている選手はみな強くて、自分も行きたかった。何かの大会で入れ替え戦に出られるきっかけをもらい、そこでたまたま勝てて、3年の全中予選前にOSJに入れてもらった。折戸さんには大阪桐蔭高の練習にも連れて行ってもらい、その後、入学。 

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