呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
水谷隼、今明かされる「全日本の真実」。あくまでこの優勝は通過点。波瀾万丈な人生への第一歩に過ぎないのだ
卓球王国2023年6月号掲載 vol.1
Text by
水谷隼jun Mizutani
高校2年の全日本では「史上最年少記録」を狙っていた
全日本(選手権)にはドラマがあり、全日本には魔物が棲んでいる。近年、決勝の舞台に立つ選手が毎年変わる中で、私はなぜ13年連続決勝進出、史上最多10回の優勝を成し遂げることができたのか。
自分の記憶を辿りながら、勝つために必要な準備、最後の1点を取る戦術、そしてなぜ全日本で10回優勝できたのか。その真実を卓球王国の読者にお伝えする。
10回の優勝で、特に記憶に残っているのは初優勝だ。それは高校2年生、17歳の時だった。当時は「水谷はパワーがないからシニアではなかなか勝てないだろう」とよく言われていた。