和田なつき:無類の根性と探究心でパリへの切符を一気に引き寄せたシンデレラガール
パリパラ代表ファイル●VOL.2 和田なつき
卓球王国2024年8月号掲載
23年6・7月の国際パラオープンで3大会連続の優勝。そして同年10月のアジアパラ競技大会で優勝したことで、「パリ2024パラリンピック」シングルス出場資格を獲得した和田なつき。クラス11の“シンデレラガール”は、いかにして大ブレイクを果たしたのか。
昨年のブレイクで一気にアジアパラ優勝。卓球を始めたきっかけはダイエット
東京パラ銅メダリストの伊藤槙紀、4月の世界ランキング枠(2位)で、東京大会に続いてパリパラ出場を決めた古川佳奈美、世界ランキング10位の山口美也など、国内の層が厚いのが、クラス11(知的障がい)の日本女子。若手の台頭が著しい日本女子の中で、昨年から大ブレイクを果たしたのが和田なつきだ。
23年に初めて国際大会で成績をあげ、アジアパラ競技大会優勝によりパリパラ出場権を得た。本人は「運も良かった」と語るが、自身の努力と周囲のサポートがあったからこそ成し得た快挙だろう。
和田が卓球を始めたのは、中学3年時のこと。小学生時代にいじめを経験して学校が怖くなり、中学時代にはほとんど通学できないほどだったという。中学2年時に知的障がいがあると診断を受け、3年時から支援学校に通い始めた。その頃に、楽しむこととダイエットが目的で始めたのが卓球だった。
地元・大阪の「エレファントTTC卓球場」のジュニア教室に、週1回通い始めた和田。「始めた頃はフットワークが苦手で、練習がきつかった」というが、次第に体重が落ち始めたことと、負けず嫌いの性格から、徐々にやる気が増していった。
周囲の期待を上回り、自身も驚く急成長・急展開でパリが射程圏内に
転機となったのは、19年(高校1年時)に出場した全国大会。周囲に勧められて出場した「パラIDジャパン・チャンピオンリーグ大会 オープントーナメント」で4位入ったことだ。「自分でもここまでできるんだ」。モチベーションに火がついた和田は、練習量も増えていった。
和田の母も当時を振り返る。「町の大会で優勝するなど、教えてもらったことをメキメキと吸収しているのが私にも分かりました。環境を整えてあげればもっと上に行ける、28年ロスパラリンピックは狙えると、早い時期に思っていました」。
しかし、和田の成長は期待を上回るものだった。22年のチャンピオンシップ大会では古川佳奈美に勝利して、シングルス準優勝。「自分の中で国内で一番すごい人だと思う古川さんに勝てた時、これなら世界3を狙えるんじゃないかと思った」。和田自身も世界に目を向けるようになったことで、ロスより4年早いパリへの道が、その後、一気に拓けることになる。
和田は翌23年6月のパラIDジャパン・チャンピオンシップ大会で初優勝し、同年10月のアジアパラ競技大会の出場権を獲得。そして6月のチェコパラオープン、7月の台北パラオープン、台中パラオープンと、3大会連続優勝の快進撃。これにより世界ランキングは初登場にして5位となり、パリパラ代表が射程圏内に入ってきた。自身も驚くほどの“急展開”だった。