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【伝説のプレーヤーたち】渋谷五郎 後編「こんなことできないだろうと思うことでも、やればできるようになる」

The Legends 第6回 渋谷五郎(昭和34年度全日本選手権優勝)

指導者はいない、技術書もない。
それでも1年365日、欠かさずにラケットを握り続け、
カットと攻撃を融合させた、
「シェークハンドラケットを使用した独自のスタイルを築き上げた男。
史上初の全日本チャンピオン」
その称号は永遠に渋谷五郎とともにある

■Profile しぶたに・ごろう
1937(昭和12)年9月30日、秋田県生まれ。青森県で育ち、西田沢中時代に卓球を始め、青森高3年でインターハイベスト8。明治大2年時に全日本学生チャンピオンとなり、4年時の全日本選手権でシェークハンドの選手として初めて優勝。61年世界選手権にも出場した。現役引退後は明治大卓球部監督として、多くの名選手を指導した

Interview by

今野昇、柳澤太朗Noboru Konno、Taro Yanagisawa

Photo Provided by

渋谷五郎 Goro Shibutani

全盛期のボールではなかった。巡り合わせだから仕方がないけど、大学4年生の時にやりたかった

 1960(昭和35)年3月に明治大を卒業し、九州・福岡の八幡(やはた)製鉄に就職した渋谷。

 八幡製鉄には元世界王者の田中利明も在籍し、一緒に練習できると思って入社したが、卓球部の練習には全く姿を現さなかった。全日本チャンピオンなのに、練習相手がいない。仕方なく、高卒の選手たちに「ドライブはこうやって打つんだよ」と教えていくしかなかった。

 東京ははるかに遠く、母校の明治大に練習に行くわけにもいかない。61年の世界選手権での代表入りを目指して、レベルの高い練習を求めた渋谷は、大阪に住んでいた星野展弥(のぶや)に連絡を取り、週末に大阪まで夜行列車で往復するようになる。明治大OBの渋谷と専修大OBの星野。ライバル校のOB同士でも、仲の良いふたりだった。

 金曜日の夜に福岡を出発して、土曜日と日曜日は星野と厳しい練習。日曜日の夜に大阪を発(た)って、夜行列車でまた福岡へ戻るという生活。社会人1年目、2連覇がかかった全日本は3位。準決勝で練習相手だった星野に当たって敗れたが、初めて世界選手権代表に選出された。

 渋谷五郎にとって、最初で最後の世界選手権となった、1961年の世界選手権北京大会。

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