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【伝説のプレーヤーたち】成田静司 後編「『ナリタ?それは誰だ。知らないね』と言われました」

The Legends 第8回 成田静司(1957・58年全日本チャンピオン)

1950年代、世界の卓球界を日本の攻撃選手が席巻(せっけん)した時代。
「卓球ニッポン」と呼ばれた、この熱い時代に
燦然と輝いたひとりの男──成田静司。
彼のプレーを目撃した人たちは「天才・成田」と評した。
10ミリのラバーを駆使する攻撃の猛者(たちに対抗し、
ペンホルダーの一枚ラバーによるカットと攻撃で
全日本を2度制覇した。
荻村伊智朗、田中利明という大先輩にもまれながら
醸成させた類い稀な感覚とは何だったのか。

■Profile なりた・せいじ
1936(昭和11)年10月10日生まれ、青森県出身。黒石中、弘前高、日本大と進み、昭和29年度全日本選手権ジュニア優勝、昭和32年度・33年度全日本選手権優勝。1959年世界選手権ドルトムント大会に出場し、団体優勝を飾った

Text by

今野昇Noboru Konno

全日本で優勝したときはカットと攻撃が半々。オールラウンドプレーだった

 昭和32年(1957年)の11月24日の両国国際スタジアム。初優勝した瞬間、成田静司の頭の中は真っ白になった。試合の時にはベンチに矢尾板監督が座っていたが、ほとんど何も言わなかった。「ぼくは打ちすぎてミスが多くなることがあるから、その時には言ってくれるけど、優勝した時でもあまり言葉を発しなかった」と笑う。ただし、「酒好きの矢尾板さんがあとで酒を飲ませてくれました。それがうれしかった」と成田は言う。

 世界選手権に初出場した52年ボンベイ大会で日本は7種目中、3種目で優勝し、鮮烈な世界デビューを果たした。「卓球ニッポン」が開花し、腕に自信のある者は、自分も世界へ行くぞと野心に燃えていた時代。

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