呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
水谷隼、今明かされる「全日本の真実」。劣勢の流れを変えた1本。岸川戦の最終ゲーム、4-8からのバックサービス
卓球王国2023年8月号 vol.3
Text by
水谷隼Jun Mizutani
私と岸川さん。互いを知り尽くしている。劣勢で初めて使ったバックサービス
3連覇した2009年1月の全日本選手権。決勝は高校の後輩だった松平健太との10代対決、私が19歳で健太が17歳。4-1で振り切り、3連覇を決めた。
健太とは昔から相性が良く、決勝戦とは思えないくらい落ち着いた試合運びで冷静にプレーすることができた。
この大会のハイライトはその決勝ではなく、岸川聖也さんとの準々決勝だった。この全日本の3カ月後に、世界選手権横浜大会で二人で組んだ男子ダブルスでメダルを獲得し、この全日本選手権でも男子ダブルスでペアを組んで優勝していた。
2009年1月・全日本選手権男子シングルス準々決勝
水谷隼 4(11-5、6-11、10-12、15-13、3-11、11-6、11-9)3 岸川聖也
岸川さんは2003年にドイツに渡った時から、もっとも多く一緒に練習してきた選手なので、お互いの手の内を知り尽くしており、サービスや球質、打球コースもよくわかっている。そして何より、この大会で一緒にダブルスを組んでいるということもあり、期間中は毎日練習していたし、この日はシングルスの試合前にダブルスもあったため、午前中一緒に練習したばかりだった。つまり、岸川さんの仕上がり具合から今の状態やクセ、試合で使いそうなサービスなどはすべてわかった上で試合に臨むことになる。