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【セカンドキャリア】佐藤利香「指導者をやっていて良かったと思えるうれしい瞬間がある」

[全日本チャンピオン・五輪代表/明徳義塾監督]

卓球王国2024年6月号掲載 「セカンドキャリア。選手たちのその後」vol.10

選手として2度、全日本で頂点に立ち、五輪にも出場した佐藤利香。輝かしいキャリアを築いた後、彼女のように、長く学校で指導にあたる人は少ない。
佐藤利香は夫・建剛とともに明徳義塾の練習場に立ち、子どもたちの成長を見守っている。選手とは別の、指導者としての喜びを感じながら。

Text by

今野昇Noboru Konno

[さとう・りか ]
1971年11月12日生まれ、宮城県仙台市出身。白鵬女子高から、武田薬品湘南、リコー、和歌山銀行で選手時代を過ごす。全日本選手権ジュニア優勝、高校2年でインターハイ三冠王、全日本シングルスでは2度の優勝。92、96年五輪出場。2002年から明徳義塾中・高(高知)の女子監督を務め、指導者として23年目を迎える

勝った喜びは一瞬で、勝ったその直後、負けた直後に、すぐに次の練習、次の生活が始まります

卓球を本格的に始めたのは中学の部活動。5年後、高校2年で全日本チャンピオンになり、日本の頂点に立つも、世界の壁の前に苦しんだ佐藤利香。全日本チャンピオンになった後に、中学・高校の監督として長く指導している人は少ない。しかし、佐藤利香は29歳で和歌山から高知に移り、明徳義塾高校の女子卓球部、その後、明徳義塾の中高を指導するようになる。

 小さい頃からスポーツが好きで、小学4年からスポーツ少年団でミニバスケットボールをやっていました。卓球を趣味でやっていた父の勧めで、小学5年の時に地元の卓球初心者の大会に出て準優勝。でも、練習はしていなかった。小学6年でもこの大会に出て優勝。中学からバスケットボール部に入ろうと思っていましたが、公立の吉成中にバスケットボール部がなかったために卓球部に入りました。

 当時、父に大会を観に連れていかれ、県チャンピオンの村上力さんがロビングを上げているのを見て、真似をしました。女子の中学生でロビングを上げる人はいないから効果的で、中学1年の全中予選では宮城県でベスト8でしたけど、東北大会では優勝しました。それが私の卓球のすべての始まり。ボールに回転をかけたり、ロビングを上げるのが好きな子どもでした。

 中学校にはコーチはいなくて、父は少しでも私に卓球をさせたくて、家の車庫に卓球台を置いてくれました。中学生から卓球を始めたチームメイトと放課後に車庫で打ったり、片道1時間かけて週2回くらい仙台市の卓球場を回って、大人とゲーム練習をするのが好きでした。中学1年の時に東北大会で優勝したので、全国の中学生を集めた強化合宿に呼ばれ、そこで田中拓先生(元日本女子監督)に「背が小さいんだからもっと台について、速い卓球をせなあかん」と言われてからはロビングを封印するようになりました。

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