呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
[卓球本悦楽主義8] 技術を頭で考える難しさを痛感。明治生まれでこそ書けた指導書
〈卓球専門書の愉しい読み方8〉卓球王国2004年8月号掲載
Text by
伊藤条太Jota Ito
「卓球」
■ 高村義雄・著[ 昭和二十四年 日本教育新聞社] ※現在は絶版
技術を頭で考える難しさを痛感。明治生まれでこそ書けた指導書
著者の高村義雄は大正時代に東京農大で活躍し、指導者としても多くの名選手を育てた卓球人である。
その卓球狂ぶりは徹底している。戦争中に転戦した、ジャワ、バリ島などでは、どんな僻地(へきち)でも卓球台とラケットを手作りし、ボールを都会から送らせて、日本人や現地人と一日も欠かさずに卓球を楽しんだというほどである。マラリヤ等の病気にかからなかったのもそのためであるとしている。
本書では第一編で「卓球の歴史」と題して、日本に卓球が伝来されてからの歴史を詳しく述べている。最初は娯楽にすぎなかった卓球であるが、次第に技術が向上し、大正五年頃には今日の技術の土台ができ、たとえば東京農大の和知(わち)の合理的なフォームからなるオールラウンド卓球は「奥義を究め」「現在の田舛選手に似たものがある」とある。
ほう、そんなに完成されていたのか。ん?現在の田舛? そう、この田舛とは、卓球用具メーカー「タマス」創業者の田舛彦介の選手時代を指しているのである。本書が今から五十五年前に書かれたことをうっかり忘れていたことに気づいて愕然(がくぜん)とする。