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【セカンドキャリア】今福 護「ダイヤモンドの原石として水谷隼が良いものを持っていても磨かなくては光らない」

[元全日本ダブルス準優勝/浜松修学舎総監督]]

愛工大名電高、愛知工業大、日本楽器(ヤマハ)と名門の道を歩みながら、「自分ができることは頑張ること」と悟っていた今福護。
現役引退後にのちに五輪金メダリストになった水谷隼というダイヤモンドの原石を磨き上げた。
ヤマハを退職後、現在は浜松修学舎中学・高校の総監督を務めている。

Text by

今野昇Noboru Konno

現在指導している浜松修学舎宅部の部員と

[いまふく・まもる ]
1955年11月8日生まれ、福岡県大牟田市出身。愛工大名電高ではインターハイの学校対抗で2度優勝。愛知工業大を卒業後、日本楽器(のちにヤマハ)に入社。全日本選手権男子ダブルス準優勝。ヤマハクラブではコーチとして水谷隼を指導した。2012年から静岡県の浜松修学舎中学・高校の総監督を務める

負けず嫌いなんですよ。教え子が試合で負けるのが嫌いだから続けている

名門・愛工大名電高の時にはインターハイの学校対抗で2度優勝を経験。実業団では日本楽器(のちにヤマハ)で活躍した元日本リーガー、今福護。全日本選手権では男子ダブルスで準優勝した。実業団では34歳まで17年間プレーした後、ヤマハ卓球部の女子監督を務めた。
1995年にヤマハ卓球部が休部になったものの練習場を残し、そこで地域貢献で地元の選手を指導していた時に、修学舎の山本寛監督や愛み大瑞穂高の神谷卓磨監督、五輪金メダリストの水谷隼を指導した。 

 水谷隼が小学2年の時に全日本ホカバ(ホープス・カブ・バンビ)で優勝して、両親がヤマハの練習場に彼を連れてきました。そこから彼がドイツに行く中学2年まで、一緒に練習していました。ヤマハ卓球部が休部になった後に地域貢献の活動として水谷隼の指導ができたわけで、今思えば偶然の出会いですね。

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