呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
七野一輝:立位から車いすへ。逆境を乗り越え、腕力、智力、精神力で未来を切り開く男
パリパラ代表ファイル●VOL.3 七野一輝
卓球王国2024年9月号掲載
立位の中で最も障がいの程度が重いクラス6で活躍し、パラリンピック出場を射程圏内にとらえていた七野。22年春に故障により車いす転向を余儀なくされたが、転向後も破竹の勢いで活躍。逞しい腕力と精神力により、24年4月発表世界ランキング枠でパリパラへの切符を力強く掴み取った。
Text by
高部大幹Hiromoto Takabe
立位で手応えを得ていた七野に訪れた逆境。足の故障で車いすに転向
パラ卓球は、障がいにより11のクラスに分かれて試合が行われる。1〜5は車いす、6〜10は立位、11は知的障がい。七野一輝は、立位で障がいが最も重度であるクラス6の若手旗手として、東京パラリンピック出場を狙っていた。
結局、あと一歩で出場は逃したが、実力的に24年のパリパラリンピックは完全に射程圏内。本人も周囲の誰もが、そのように思っていた。
しかし七野は22年4月に足の故障に見舞われ、車いすに転向。クラス6から5への転向は、1という数字よりはるかに大きな差があることは言うまでもない。
「正直、パリ大会は厳しく、次の28年ロス大会を狙おうと考えていた」という七野。しかしわずか1年後、23年3月の国際大会で、七野は2連覇と快進撃(その際にクラス4と判定され、以降はクラス4に出場)。その活躍により、24年4月世界ランキング枠によって、パリパラリンピック出場権を獲得した。
七野はいかにして大きな逆境を乗り越えられたのだろうか。