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【伝説のプレイヤーたち】北村秀樹 後編・北村は残された左腕だけを見て生きてきたが、多くのマスコミは失われた右腕ばかり見ていた

The Legends 第5回 北村秀樹(1965年全日本学生選手権優勝)

左腕から繰り出す豪打、また豪打。
その男は、ひとたびラケットを握れば
驚異的なフットワークでコートを疾駆(しっく)し、強敵を次々に打ち破っていった。
「ひとりのアスリートとして生きたい」その願いが叶えられぬまま、
卓球界を去った伝説の勝負師。北村秀樹は今、何を語るのか。

■Profile きたむら・ひでき
1944年7月10日生まれ、兵庫県出身。アメリカ軍の空襲によって生後8カ月で右腕を失う。中学1年で卓球を始め、神戸商業高3年の時にインターハイ3位。専修大に進み、大学2・4年に大野充平とのペアで全日本学生ダブルス優勝、大学3年で全日本学生優勝。将来を嘱望(しょくぼう)されたが、大学卒業とともに第一線を退いた。2023年9月30日 逝去

Interview by

今野昇・柳澤太朗Noboru Konno、Taro Yanagisawa

「回り込みから飛びついて、スマッシュで打ち抜く。
まさに北村さんのエースボールだった」(河野)

 北村秀樹のプレースタイルは、フットワークを活かしたフォアハンド主体の攻撃型。「調子が良ければ本当にオールフォアで戦い抜くことができた」と言うほど、抜群のフットワークを誇った。
 後輩の河野満は、その驚くべき光景を今でも鮮明に覚えている。
 「普通の選手はバックへの回り込みからフォアへ大きく飛びついたら、入れるだけのボールになってしまうでしょう。だけど北村さんは、それをスマッシュで打ち抜くんだ。今の選手にあのボールは打てないよ。まさに北村さんのエースボールだった」
 なぜ回り込んだあとに、飛びついてスマッシュが打てたのか。
 ある程度ヤマを張っていた部分もあるが、やはりフォアに来るボールを「待てていた」からだと北村は言う。回り込んだ後でもフォアでボールを待てるほど、そのフットワークには自信を持っていた。対戦相手がフォアの強打を嫌い、バックに小さく止めてきたボールには、強烈なバックハンドスマッシュで攻める思い切りの良さもあった。
 それにしても、バランスを整えるうえで重要な役割を果たしているフリーハンドがないことは、北村のプレーに大きな影響を与えなかったのだろうか。

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