【People】勝康雄:知的障がい者卓球界の名物裏方さん
[日本知的障がい者卓球連盟]
[かつ・やすお]
1961年6月7日、茨城県水戸市生まれ。神奈川県立横須賀高、横浜国立大で卓球部に所属。1984年から38年間、中学校教員を務め、初年度より卓球部顧問を続ける。99年から14年間、横須賀市中学校体育連盟卓球専門部長。15年から横須賀市立ろう学校勤務。22年春に定年退職し、一般社団法人日本知的障がい者卓球連盟の事務局員を務め、主に国内大会を担当
長年、神奈川県横須賀市で中学校教員を務め、卓球部で指導。そして22年から日本知的障がい者卓球連盟の事務局員に就任した勝康雄。「パラIDジャパン・チャンピオンシップ大会」では、大会運営に奔走しながら、多くの選手と笑顔でコミュニケーションを取っていた人物だ。(卓球王国2024年8月号掲載)
38年間教員を務めた後、知的障がい者卓球連盟の事務局員として奔走
1961年生まれで、中学2年時以降は神奈川県横須賀市に在住している勝。県立横須賀高時代に卓球を始め、横浜国立大でも卓球部に所属。そして84年から38年間、中学校教員として数学を教える傍ら、1年目から卓球部顧問を続けた。
勝は新任当初から特別支援学級のある中学校に勤務したため、在籍生徒とは学年行事等で行動を共にする機会が多かった。今でも当時の教え子と道端で偶然出会うと、「勝先生!」と声をかけられるという。生徒に慕われる教員だった。
卓球部にも特別支援学級の男子生徒が所属したことがあった。その生徒と同学年で、現在はアイリス卓球場(横須賀市)で指導者を務める小清水誠也とフォア打ち100往復を続けさせるなど、皆と同じように練習をさせた。「彼が市内大会で1回勝ったことがありました。ふだんあまり表情を出さない生徒で、勝ってもニコニコしていただけですが、『練習は裏切らないものなんだ』と実感しました。その時は、後に知的障がい者の卓球に関わるとは思っていませんでしたが、卓球は誰もが対等に戦える素晴らしいものだと実感しました」(勝)。
また2015年から7年間は横須賀市立ろう学校に勤務。その勝の経歴を見た日本知的障がい者卓球連盟の鈴木一理事長(当時)から声をかけられたことをきっかけに、勝は教員を定年退職すると同時に22年春から連盟事務局員に就任した。
以来、高校の先輩にあたる津本昭らとともに、国内大会を担当しつつ、事務全般をこなす日々。原則週4日勤務だが、国内大会時にはフル活動。国際大会開催時も、大会直後にメディアに向けて詳細な記録や情報をすばやく発信する。
知的障がい者卓球での仕事について、勝はこう語る。
「卓球に関わる仕事ができるのは有り難いし、障がい者が活躍できる場を皆と一緒に作るのはやりがいがあります。毎年、新たに連盟に登録してくれる選手がいますが、卓球を通じて生活の楽しみが増えてくれるといいなと思っています。
障がい者卓球は、パラリンピックがあると注目されるけど、終わると冷めてしまうところがある。選手の多くは働きながら卓球をしていることも十分知られていません。多くの方々に知的障がい者卓球を知ってもらえたらと思っています」
試合会場では選手の前で変顔をしたり、外したマスクをアイマスクのように付けたりと、「変なおじさん」キャラで選手に慕われる勝。一方でTリーグ・木下マイスター東京と木下アビエル神奈川の年間ホームマッチ全試合を観戦して平野美宇から表彰状を受け取ったり、〝推し〟の「梅ちゃん」こと梅村優香との2ショット写真にホクホクと、いち卓球ファンとしてはかなりのミーハーぶりを発揮中だ。連盟の武居和子会長からは、「卓球の仕事に関しては完璧」、そして「変人」という2つのお墨付きをもらっている。
「誌面に登場するのは実績のある方ばかりで、お恥ずかしい限り」と謙虚に語る一方で、詳細な大会記録のメールに挟み込んでくるギャグの主張はやや強め。知的障がい者卓球界の「変なおじさん」こと勝康雄は、選手に慕われ、役員から信頼され、自身も楽しみながら、裏方仕事に全力を注いでいる。
(文中敬称略)