【伝説のプレーヤーたち】革新的な打法、ループドライブを生み出した男・中西義治 前編
「全日本で当たったら大変だな」そう思いながらボールを受けた。
もし同じチームでなかったら、あの重いボールは取れなかった。
「1回目の対戦の時は、山なりのゆるいボールという感じだったけど、2回目の対戦の時にはズシリと重い、回転量の多いループドライブになっていた。練習はずっと一緒だったから、『全日本で当たったら大変だな』と思いながらボールを受けていた。もし同じチームでなかったら、あの重いボールは取れていなかったと思う」
ネット上に高く舞い上がったボールは、バウンドした瞬間に低く伸びていくが、台の表面が平らではないために複雑な変化をしたという。
当時、この新しい“魔球”に決まった呼び名はなく、成田はこれを「引っかけドライブ」と呼んでいた。「ループドライブ」という名称はすでに古くからあり、「救聖(きゅうせい)」と言われた今孝(全日本学生5連覇)の著書「卓球・其の本質と方法」(昭和17年発行)では、すでに「球の下側から之を急速に擦り上げ〜中略〜台に落ちるや烈(はげ)しいバウンドを起(おこ)す」ボールとして、ループドライブという用語が紹介されている。
中西も前述の「THE TABLE TENNIS」では、「然(しか)し此(こ)のループドライブボールはニューボールでは決してありません。我々の大先輩の諸選手の中には今程(いまほど)の球質(超回転球)を出したわけではないが相当強烈に回転の掛つたドライブボールを出した方々が居(い)たのです」と述べている。
「恐らく当時は現今(げんこん)の如(ごと)き特殊ラバー(※注・ここでは裏ソフトラバー)がなくオーソドックスラバー(※注・一枚ラバー)を使用のためループドライブボールを出すことが出来なかつたと推察(すいさつ)されます」(中西)。
中西がループドライブを開発した当時、裏ソフトラバーを使用する選手たちは、少しずつ攻撃にトップスピンを加えるようになっていた。しかし、当時のフォアハンドの打法は、ラケット面を上に向けてバックスイングを取り、打球の瞬間に手首を返していくというもの。回転量はそれほど多くなかった。
一方、中西のループドライブは、ラケット面を伏(ふ)せた状態でバックスイングを取り、ボールを思い切り擦り上げて回転をかけていく。現在のドライブ打法と比べても遜色(そんしょく)のないもので、その回転量は「超回転」と表現されるほど際立(きわだ)ったものだった。
従来の一枚ラバーやスポンジラバーよりもはるかに回転がかかる裏ソフトラバーが日本で誕生した1950年代。ループドライブが生まれるのは時間の問題だったかもしれない。中西がやらなくとも、他の誰かがループドライブを開発していたかもしれない。しかし、中西はまぎれもなく、その先陣を切ったトップランナーだった。(後編へ続く)