呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
水谷隼、今明かされる「全日本の真実」。勝利の計算式を狂わせられた決勝・吉村真晴戦。10-7からの逆転負け
卓球王国2023年11月号 vol.6
Text by
水谷隼Jun Mizutani
吉村真晴の「フォアの二度攻め」で足が止まってしまった。積み木がガタガタと崩れていく感覚
2012年は五輪イヤー。全日本選手権の半年後にロンドン五輪を控えていた。この大会は決勝まで圧勝で、調子も非常に良かった。6連覇は射程に入り、不安要素はなかった。
その6連覇を阻んだのが、後にリオデジャネイロ五輪で一緒にメダルを獲得した高校生の吉村真晴(当時野田学園高3年)である。
この試合は足が止まっていた記憶がある。それは、相手の戦い方のせいだった。私はフォアハンドが得意なため相手は通常私のバックを攻めてくる。ところが、真晴は私のフォアをついてきた。もともと彼はシュートドライブや、バックハンドのクロスへの強打が持ち味と、私のフォア側にボールが集まりやすいプレースタイルなのだ。
また、自分のフォアをつかれた次のボールはバックに来ると予測するのに、真晴はもう1本フォアをついてきた。当時、「フォアの二度攻め」はあまり経験がなくて、焦ってしまい、回り込もうと思うとまたフォアをつかれるので、足が止まってしまった。最初から最後まで相手のプレーと自分の攻めが噛み合わなかった。