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【伝説のプレイヤーたち】渡辺妃生子 前編 「『卓球が上手になれば、外国にも行けるんだな』という刺激が大きかった」

The Legends 第12回 渡辺妃生子(1954・7年世界選手権女子団体優勝)

卓球台にのしかかるような、豪快なフォームから放つフォア強打。
「卓球ニッポン」黄金時代の中心で、渡辺妃生子の豪打は燦然(さんぜん)と輝いた。
4年間の大学生活で、世界選手権4回出場、全日本選手権優勝2回。
すべてを燃やし尽くした、伝説のハードヒッターの物語だ

■Profile わたなべきいこ
1934年11月3日、静岡県富士宮市出身。現性:加藤。中学1年で卓球を始め、富士宮東高を経て専修大に入学。大学1年時に全日本選手権と全日本学生選手権を制し、世界選手権4大会連続出場。54・57年大会で団体優勝、56年大会でシングルス準優勝となる。引退後は日本レクレーション卓球連盟会長を務めるなど、レディースや高齢者への卓球の普及に尽力している

Interview by

今野昇・柳澤太朗Noboru Konno、Taro Yanagisawa

昼休みになるとお弁当を持って、市役所の講堂に行って
おじさんたちと練習するのが楽しみだったんです

 富士山の表玄関と言われる静岡県富士宮市。1934(昭和9)年11月3日、日本一の霊峰(れいほう)に抱かれたこの街で、ひとりの女の子が生まれた。
 誕生日である11月3日は、地元にある富士山本宮浅間(せんげん)大社の例祭の日。娘の名前について、浅間大社へ相談に訪れた父・渡辺一郎は、宮司(ぐうじ)からひとつの名前を授かった。
 妃(ひめ)が生まれる子と書いて、「妃生子(きいこ)」。
 「妃」のひと文字は、富士山の守り神である「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」を表すもの。中学生の時に卓球に出合ったその女の子、渡辺(現姓:加藤)妃生子はその名を体現するように、卓球ニッポンの守護神として奮戦し、世界の舞台でスケールの大きな攻撃卓球を開花させていく。
 小学校時代から背が高く、背の順ではクラスで一番後ろだったという渡辺。しかし、運動会ではいつも真ん中くらいの目立たない成績。それに対し、一番上の姉・世知子は走るのがとても速く、東海四県大会で優勝するほどだった。

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