【セカンドキャリア】木方慎之介「自分に『思い』がないと相手には伝わらないし、結果につながらない。それが卓球で培った良い部分でした」
[世界選手権元日本代表/ 協和キリン営業本部MR]
卓球王国2024年10月号掲載
全日本選手権でランク(ベスト16)に11回入り、ベスト4に4回、準優勝が1回という圧倒的な成績を残した木方慎之介。
33歳で現役を引退し、医薬の営業畑を選び、MR(医薬情報担当者)の資格を取得し、営業マンとしての実績も残している。
仕事で結果を出しながらも、最近では母校のコーチも務める。卓球のプロの道を選ばずに、木方の積み上げたセカンドキャリアはどういうものだろうか
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[きほう・しんのすけ ]
1978年5月20日生まれ、東京都出身。実践学園高時代にインターハイチャンピオン、明治大、協和発酵(現:協和キリン)でプレーし、全日本選手権ランク入り11回、ベスト8に7回、ベスト4に4回入った。全日本選手権男子ダブルスで優勝し、日本代表として世界選手権には3回出場。2011年に現役を引退。現在、協和キリン㈱営業本部マネジャー
アマチュアとプロの間で揺れ動いてました。このまま実業団でやるべきか、プロとしてやるべきかと
小学5年で始めた卓球。全中(全国中学校大会)3位、インターハイで優勝した木方慎之介。明治大入学後から一般でも頭角を現し、全日本選手権(全日本)で11回ランク入り。そのうちベスト8に7回、ベスト4に4回。特に大学2年から3年連続でベスト4という安定した成績を重ねていった。一方、チャンピオンになれないもどかしさ、国際大会で勝てない苦しみを味わった。
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子どもの時にはサッカーをやっていたけど足をケガして2年間くらいできなかった。母がPTAで卓球をしていたので、小学5年から家の近くのウイニングジュニア(東京)で始めました。母が卓球をやっていなかったら始めていないでしょうね。
小学校の時には全国大会に出ていなくて、中学は地元の中野七中で、練習はウイニングジュニアでやってました。中3の全中は3位で、高校は家からも近かったので実践学園(東京)に決めました。
高1の全日本ジュニアは真田浩二(愛工大名電高)に負けて2位、高3のインターハイは優勝し、大学は明治大に決めました。2学年上には遊澤亮さん、倉嶋洋介さんがいました。1年の時からリーグ戦でもレギュラーで出させてもらいました。
高校3年での全日本でベスト8に入って、1997年世界選手権マンチェスター大会の代表に選んでもらいました。日本代表には松下浩二さん、渋谷浩さん、岩崎清信さん、田㟢俊雄さんがいました。私自身、荘智淵、朱世爀、陳衛星などの世界ランク上位者にも勝つこともあったのでもっとやれるかもと思う反面、社会人になる頃は自分の卓球のプレースタイルを考えると世界で勝つのは難しいと感じていました。