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【伝説のプレイヤーたち】松﨑キミ代 前編その2 「私は男子の卓球選手に憧れたんです。男子に力負けしないように深いグリップになった」

The Legends 第13回 松崎キミ代(1959・63年世界選手権女子シングルス優勝/卓球王国2017年6月号掲載)

日本が生んだ女子世界チャンピオンで、
唯一、世界を二度制した松﨑キミ代。かの荻村伊智朗に
「攻撃対攻撃では史上最強」と言わしめたほどの強打者だ。
両親の猛反対を乗り越えて、名門・専修大で花開いた攻撃卓球。
「マツさん」の情熱の物語が今、始まる。

■Profile まつざき・きみよ
1938年6月18日生まれ、香川県出身、現性:栗本。中学1年で卓球を始め、高瀬高3年時にインターハイ2位、専修大1〜3年時に全日本学生選手権3連覇、全日本選手権では昭和33・34・35年度大会で3回の優勝を誇る。世界選手権は1959・61・63年と3大会で団体優勝、59・63年大会でシングルスを制した。右ペンホルダー表ソフト速攻型

Interview by
今野昇・柳澤太朗Noboru Konno、Taro Yanagisawa

客観的に見れば、両親の大反対が良かったのかもしれません。
『頑張れよ』と送り出されていたら、どうしても甘えが出たと思う。

 口だけではなく、態度で示すしかない。そう決めた松﨑はやがて「高瀬富士」と呼ばれる爺神(とかみ)山の頂上まで、毎朝ランニングをするようになる。専修大進学への決意の現れであると同時に、来るべき大学での猛練習に向けた足腰の鍛錬でもあった。
 松﨑が暮らす高瀬町がある香川県の西部、西讃(せいさん)地方は冬になると強い季節風が吹く。家の戸や天井(てんじょう)が風でミシミシ鳴るような日、母に「こんな寒いのに行かんでもええやん」と言われながらも、明るくこう言って家を飛び出した。
 「こんな時でも走っとかんと、専修大の練習は厳しいからついていけんのや」
 それでも父は黙ったきり、何も言葉を発してはくれなかった。娘の熱意に折れた父が、ようやく大学進学を許してくれたのは、専修大に願書を出す期限ギリギリの時だった。

 「私の卓球人生に分岐点(ぶんきてん)があるとすれば、ひとつ目は中学2年の時の森先生との出会い、もうひとつは専修大に行きたいという強い気持ちを持って、それを実現できたこと」と松﨑は語る。
 「あれだけ強く反対されましたから、東京に出て専修大に入る時は、『強くならなければ帰れない』という思いが強かった。でも、客観的に見たら両親の大反対が良かったのかもしれません。『頑張れよ』と送り出されていたら、どうしても甘えが出たと思う。今の若い選手も、そうじゃないかと思うんですよ」

憧れの専修大女子卓球部の一員となった松﨑。専修大の練習場の前でのワンショット