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[卓球本悦楽主義15] すぐれた知性と素朴な卓球観。味わい深い、福士翁の現代卓球見聞記

〈卓球専門書の愉しい読み方15〉卓球王国2005年3月号掲載

Text by

伊藤条太Jota Ito

「 日本卓球技術史」 

 ■  福士敏光・著[昭和五十七年 自費出版] ※現在は絶版

すぐれた知性と素朴な卓球観。味わい深い、福士翁の現代卓球見聞記

 著者の福士が自らの経験をもとに綴った、大正末期から昭和初期までの日本の卓球技術史である。その内容は詳細を極め、比類のない貴重な卓球史資料となっている。

 福士によれば、明治35年に日本に伝わった遊戯としてのピンポンから最初に現れた競技打法は、スピードロングであったという。大正11年頃である。次にこれに対抗してカッティングカットとドライブロングがおこり、さらにドライブロングに対してリターニングカットが現れ、最後にこれら複数の打法を併用するオールラウンド打法が開花したとある。これが昭和10年頃までの話である。

 福士は、これらの技術の変遷について、当時、サービス・レシーブの強打が禁止されていたことで「ちょうどどこかに卓球技術開発のための研究所を造って行なった純粋実験のように典型的な展開をしている」としている。東大法学部卒の福士ならではの鋭い考察である。

本書に掲載されている、77年バーミンガム大会当時の福士敏光氏(中央)。右は同大会男子シングルス覇者の河野満氏、左は長谷川信彦氏

 さて、本書が本当におもしろいのは実はここからである。福士は、選手としても指導者としても昭和13年には引退している(!)のだが、どういうわけか、それから37年も経った75年、世界選手権カルカッタ大会に副団長として参加する話が日本卓球協会から舞い込む。すでに福士は六十八歳となっていたが、それから約二年半、福士は日本チームの強化本部長兼総監督を務めるのである。

 この時の体験談が本書の後半に紹介されているのだが、これが大変におもしろい。

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