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森美紗樹:知的の監督就任から怒涛の2年。選手と密に接し、ともに歩み続ける

森美紗樹[日本知的障がい者卓球連盟 女子監督 ]
 現役引退後の22年、日本知的障がい者卓球連盟のコーチ・女子監督に就任した森美紗樹。それは折しもパリパラリンピック選考レースの真っただ中だった。「怒涛の2年間」で、森は選手たちとともに成長し、パリを迎える。

 吉岡SC、明徳義塾中・高、早稲田大、豊田自動織機と、名門チームでプレーを続けた森美紗樹。フォア一枚ラバー、バック表ソフトという独自の速攻スタイルを貫き、全日本ジュニア3位、全日本社会人ダブルス優勝などの戦績を残した。

 20年3月の引退後は、社会保険労務士事務所での仕事を経て、姉に触発される形で、子どもを対象にした運動療育の仕事に就いた。発達障害などを持つ子どもたちと、運動や学習を通じてコミュニケーションを取っていく。

 「他者との関わりに問題を抱えている子が多い中で、運動を切り口にすると、次第に自分から話しかけられるようになってくる。それを手助けしています」

 この療育の仕事がきかっけとなり、森は日本知的障がい者卓球連盟から声をかけられ、22年4月に上京して知的のコーチおよび女子監督に就任。今も療育の仕事は続けており、その経験が卓球でのコーチングにも役立っている。

 「選手は皆、素直で真っすぐ。卓球が本当に好きで楽しいんだなと感じます。若手選手が増え、国内のレベルが上がる中で、皆、楽しみながらトップを目指しているのはすごいことだと思います」

 パリパラリンピック代表権獲得を目指し、トップ選手たちが国際大会に出場を続ける過酷な時期に就任した森。当初は不安もあったというが、試行錯誤の中から次第に手応えを掴んでいった。

 たとえば森は、スポーツ庁の事業である「女性エリートコーチ育成プログラム」を2年間受講。「受講者にはオリ・パラのコーチ陣が多く、初めは『場違いでは』と思っていました。でも卓球以外のさまざまな競技の女性コーチとともに研修を受けたり、意見交換したりする中で、視野が大きく広がり余裕も生まれました。コーチとしての引き出しも増えたと思います」。

 知的障がい者卓球は、プレー自体は健常者と変わりない。違いがあるとすれば、不安な精神状態になるとプレーが崩れやすくなったり、試合中に多くのことを一度にアドバイスすると混乱しやすかったりするという点だ。これらは健常者にも通じることだが、より顕著に現れやすい。

 「アドバイスは極力ひとつにしぼり、大切なことを最後に言うようにしています。
 私が就任当初は、選手たちも戸惑いがあったはずです。でも私が様子を見すぎても良くないと思い、選手にどんどん話かけるようにしました。伝え方も選手ごとに異なりますが、一方的に言わず、やり取りの中で選手の言葉に耳を傾けることが大事だと思っています。2年間のさまざまな経験で、だいぶ選手とも通じ合うようになってきました」

 パリパラには、知的(クラス11)から竹守彪、古川佳奈美、和田なつきの3選手が出場する。「皆、メダルを狙える選手で、実力があるのは間違いない。あとは大舞台で実力を発揮できるようサポートしていきたい。選手たちの不安を取り除き、ベストな体調で試合に臨めるよう、環境作りをしていきたいです」。

 2年間、母体コーチとの連携、情報共有を積み重ね、選手と信頼関係を築き上げてきた森。パリパラでの選手の活躍には期待がかかるが、それにとどまることなく、森は今後も選手とともに歩み続けることだろう。

もり・みさき
1992年5月20日生まれ、大阪府出身。幼稚園年長時に卓球を始める。吉岡SC、明徳義塾中・高、早稲田大、豊田自動織機と名門チームでプレー。09年全日本ジュニア3位、18年全日本社会人複優勝。20年3月に現役を引退し、運動療育の仕事を開始。22年4月に日本知的障がい者卓球連盟のコーチおよび女子監督に就任