呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
[卓球本悦楽主義16] 荻村の名文を新聞で読める贅沢。恒例だった荻村の世界戦手記
〈卓球専門書の愉しい読み方16〉卓球王国2005年4月号掲載
Text by
伊藤条太Jota Ito
番外編「朝日新聞」 荻村伊智朗氏の手記より
荻村の名文を新聞で読める贅沢。恒例だった荻村の世界戦手記
54年世界卓球選手権で、日本は男女団体、男子シングルスに優勝する快挙を成し遂げた。その大会期間中、現地ロンドンから試合の様子の手記を朝日新聞に寄せた選手がいた。主将を務めた当時21歳の日大生、荻村伊智朗である。
どのような経緯で新人の卓球選手が朝日新聞に記事を書くことになったのかはわからないが、以来荻村は、世界選手権があるごとに、選手時代は主将として、引退後は監督あるいは観客として、大会の手記を朝日新聞のスポーツ欄に寄せることが恒例となっていた。
発行部数500万部以上(現・828万部)の朝日新聞のもつ影響力の大きさを荻村は十分認識していただろうから、卓球を一般の人々にアピールする場として意識していたことだろう。