呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
水谷隼、今明かされる「全日本の真実」。比類なき経験値で7度目の優勝。初のプラボールで綱渡りの笠原戦
卓球王国2024年2月号 vol.9
Text by
水谷隼Jun Mizutani
初めてのプラボールの全日本。大会前にバタフライのボールだけで練習。笠原戦でニッタクボールを選ばれた
2015年の全日本選手権は初めてのプラスチックボール(プラボール)での大会だった。
当時の全日本は統一球ではなく、試合前のじゃんけんで勝ったほうが好きなメーカーのボールを選ぶやり方を採用していた。大袈裟に思うかもしれないが、野球をするのか、ソフトボールをするのか、試合直前までわからないようなものだ。
それぐらい当時はメーカーによってボールの弾みが違っていたし、材質も打球感もバラバラだった。私自身は基本的には契約しているバタフライのボールで練習していて、他社のメーカーのボールで練習はしていなかった。また、質が悪いボールが多く、自分の感覚では間違いなく返球できているはずがミスになったり、相手のボールが自分の台で急にバウンドが変化したりと、とにかく対応が難しかった。