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荻村伊智朗の予言「スウェーデン卓球王国の興亡」vol.2「私はなぜスウェーデンのコーチに行くことを選んだのか」

<1991年『スウェーデン卓球 最強の秘密』より>

1991年にヤマト卓球から刊行された『スウェーデン卓球 最強の秘密』(イエンス・フェリッカ、グレン・オースト著)。時代は1989年に男子団体とシングルスでワルドナーが優勝して、「スウェーデン全盛時代」だった。
その礎を作ったのは1959年にスウェーデンに渡り、日本式の練習を導入した荻村伊智朗だった。荻村伊智朗は1950年代に2度世界チャンピオンになり、その後、指導者、そして国際卓球連盟の会長に上り詰めた才人だった。
荻村伊智朗が『スウェーデン卓球 最強の秘密』に寄稿した「スウェーデン卓球王国の興亡」を紹介しよう。荻村はスウェーデンが強くなることに喜びを感じたはずだが、一方で世界から取り残されていく日本を歯がゆく思っていたのではないか。

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荻村伊智朗Ichiro Ogimura

1992年バルセロナ五輪で金メダリスト、2000年シドニー五輪では銀メダリストに輝いたワルドナー

荻村伊智朗(おぎむら・いちろう)
1932年6月25日生まれ。高校から卓球を始め、猛練習と独自の卓球理論で1954年、56年に世界チャンピオンになった。卓球の指導者を経て、1987年には日本人として初のIF(国際競技連盟)会長として国際競技連盟会長に就任した。1991年には統一コリアを実現させ、スポーツ外交面でも手腕を発揮。1994年12月5日逝去。卓球の書籍を数多く上梓した。

男子卓球の時代はスウェーデンに移った。史上第4の強者とも呼べる強さの時代に突入している。
私は、私の持っているマグマ、卓球への献身的な情熱というマグマを、スウェーデン卓球に移した。
スウェーデンの自壊作用を起こすのを待つのではなく、この本の中から優点を取り入れ、彼らの全盛時代に彼らをを倒す偉業を成し遂げることだ(1991年・荻村伊智朗)。

荻村伊智朗は「自分の練習がしたかった」

 1959年11月に、 私はスウェ ー デンにナショナルチームのコーチとして赴任した。 当時の日本卓球界には、 実業団卓球が皆無だった。 練習は母校に行くが、台が2台。リーグ戦やインカレ、全日本学生など、1年の半分<らいは肩身の狭い練習になった。 ’56年に大学は卒業した。世界選手権大会の男子団体は5連勝中の主将だった。シーズンオフになる’59年の冬から’60年の春まで4カ月、みっちり練習できる環境が必要だった。スウェー デンでは毎日7~8時間の練習メニューを組んだが、 自分のためでもあった。

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