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[Goods Story 大川とみ]恩師が製作した信頼のラケット

別冊卓球グッズ2012掲載 グッズストーリー  ~知られざる用具秘話~

1956年女子世界チャンピオン──大川とみ。
ペンホルダーがほとんどだった当時の日本で、シェークハンドを選び、攻撃プレーの中にカットを織り交ぜ、オールラウンドスタイルを目指した。ある日、愛用のラケットが使えなくなった時、恩師の矢尾板弘から一本のラケットを渡された。そこにはひとりの指導者の魂が込められていた。

おおかわ・とみ
1932年(昭和7年)、茨城県水海道市生まれ。1956年世界選手権東京大会で女子シングルスで優勝。日本人初の女子世界チャンピオンとなる。その後、57年大会、61年大会の世界選手権の団体で優勝メンバーとなる。現姓・岡田

 

親指の部分が最初から削られていて、重めのラケットで、今でも握ると手にしっくりくる

 日本が生んだ初の女子世界チャンピオン、大川とみ。戦後復興の只中の昭和31年(1956年)。東京で開催された世界選手権の女子シングルスで、大川はシェークハンドのオールラウンドプレーで優勝した。

 幼少の頃から虚弱だった大川は、戦後、女学校の校医に運動をすすめられる。テニスをやった時期もあったが、屋外スポーツは難しく、ある日、汽車を待っている時に、時間つぶしにピンポン球を打ったのが卓球を始めるきっかけとなった。

 ペンホルダーのカットマンからスタートした大川は、メキメキと上達。茨城県内では負けなしの選手となったが、全国学校対抗(インターハイの前身)の試合で負けたことをきっかけにオールフォアのペンホルダー攻撃型に転向した。

 高校生の時には全日本選手権の一般の部に出場し、ランキングプレーヤー(ベスト10)に入ることを目標にして、それが達成できないなら卓球をやめようと思った。結局、大川の成績はベスト16止まり。しかし、大好きな卓球をやめることができず、これからは卓球を楽しもうと今までやったことのないシェークに転向した。しかし、生来、負けん気が強く、向上心の強い大川はさらに卓球にのめり込んでいく。

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