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【伝説のプレイヤーたち】森沢幸子 後編 「日本女子史上2人目の世界選手権3冠王『本当に勝っちゃった、という感じでした』」

The Legends 第16回 森沢幸子(1967年世界選手権シングルス優勝/卓球王国2018年5月号掲載)

Interview by

柳澤太朗Taro Yanagisawa

森沢幸子のフォアスマッシュ。
それは165㎝の長身を投げ出すように、バッククロスへ打ち抜く驚異の一打だ。
全日本選手権への出場はわずかに5回。
歓喜の時は短く、挫折の影は長かったが、逆境での強さが、彼女を頂点へと導いていった。

■Profile もりさわ・さちこ
1944(昭和19)年2月12日生まれ、熊本県出身。尚絅高時代に九州大会3冠、専修大に進学し、大学4年時に全日本選手権で単複優勝。世界選手権は67・69年大会に連続出場し、67年大会では団体・単・複の3冠を獲得。日本女子4人目の世界チャンピオンとなった。大学2年までは右ペン表ソフト攻撃型で、後に裏ソフト攻撃型に転向した

世界選手権での優勝に涙はなかった。「本当に勝っちゃった、という感じでした」

初出場・初優勝。

 日本が輩出した世界チャンピオンを語る時、それはひとつのキーワードになる。4回目の出場で悲願の優勝を果たした江口冨士枝、円熟の境地と言える6回目の出場で頂点を極めた河野満のような選手もいるが、残る男女11名のチャンピオンたちの初優勝は、いずれも初出場の大会で記録されている。

 1967年世界選手権ストックホルム大会での森沢幸子の優勝も、やはり初出場で勝ち取ったものだ。表彰台で森沢の隣に立っていたのは、2位の深津尚子と3位の山中教子。実は大会前半の団体戦では、常に深津と山中が起用され、森沢ともうひとりの日本代表・広田(現姓・橋本)佐枝子には一度も出場の機会がなかった。「今日は出してくれるかな」と思いながら、試合前の練習になると決まって練習相手。また出場できないことがわかってしまう。

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