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張本智和 「あれが今の自分のすべてなのかなと思っています」

卓球王国2024年11月号掲載
日本中の期待を背負って2度目の五輪の舞台に立った張本智和。
混合ダブルスの敗退後、気力を振り絞って挑んだ男子シングルスと男子団体では、あと1点が届かずにメダルを逃した。
パリの地で日本のエースに何が起こっていたのか。
Interview by
中川 学Manabu Nakagawa
写真=中川学、レミー・グロス/ITTF
はりもと・ともかず
2003年6月27日生まれ、宮城県出身。元中国代表の両親の影響で2歳から卓球を始め、全日本選手権のバンビ・カブ・ホープスで6連覇を達成。13歳で世界選手権シングルスでベスト8入りし、14歳で史上最年少の全日本チャンピオンになるなど、国内外で数々の最年少記録を更新。東京五輪の男子団体で銅メダルを獲得。パリ五輪では男子シングルス、男子団体とも奮闘したが、メダルに届かなかった。世界ランキング8位(9月10日現在)

相手が世界チャンピオンだとか、これまでの実績ではなくて、人間対人間の勝負になる。オリンピックはそういう気持ちで戦う場です

 金メダルを期待されていた混合ダブルスで、初戦敗退という悪夢のスタートとなった張本智和のパリ五輪。失意の中で気持ちを立て直して臨んだ男子シングルスでは、準々決勝で樊振東(中国)と死闘を演じるも惜敗。メダルには届かなかったが、「事実上の決勝戦」と称えられた。
 迎えた最後の男子団体。張本は全精力を注いでラケットを振り続けたが、準決勝のスウェーデン戦のラスト、フランスとの銅メダル決定戦のエース対決で逆転負けを喫し、メダルを逃した。
 日本のエースがパリ五輪の戦いを振り返る。
●――パリ五輪は混合ダブルスから始まり、初戦で北朝鮮ペアに敗れました。
張本智和(以下・張本 初戦にしてはそれほど硬さもなかったですし、準備もある程度できていました。ただ、相手の男子選手の想定以上の両ハンドの強さと、女子選手の安定感と粒高のボールに苦戦して、負けてしまった。北朝鮮ペアは2位になっているので、実力のあるペアだったと感じています。
●――メダルを期待されていた混合ダブルスの敗戦から、シングルスへの入り方は自分の中でどのように解決していったんですか?
張本 正直、怖かったですね。混合のメダルが一番可能性が高かったし、メダルという点ではその次が団体戦になります。混合のあとすぐに団体戦ならば気持ちは少し楽でしたけど、シングルスは準々決勝で樊振東と当たることもわかっていたし、樊振東には自分が100%の力を出しても勝てるかどうかわからない相手。
 でも、やる前から考えてもしかたないので、最終的には気持ちを落ち着かせて、まずは準々決勝までしっかり勝って、そこで樊振東に挑もうと切り替えることができました。
●――1回戦でアレグロ(ベルギー)、2回戦ではNo・アラミヤン(イラン)に勝ちました。
張本 アレグロは前回の対戦で3―1で勝ちましたがぎりぎりの内容で、その相手に対して自分でもびっくりするくらい良いパフォーマンスで勝つことができました。混合の敗戦を引きずらずにできたので、この勝利で一気に心が楽になりました。
 次のアラミヤンが勝負になると考えていて、1ゲーム目を取られたけれど、簡単に勝てる相手ではないことはわかっていたので焦りはなく、自分が取ったゲームはほぼ完璧なプレーができました。このアラミヤン戦を乗り越えたのは大きかったですね。トリッキーなプレーにも惑わされることなく、メンタルも引き締まったことで、次の3回戦は誰が来ても怖くない、それくらい自信がつきました。
 3回戦のリンド(デンマーク)とは初対戦でした。癖のあるプレーで1ゲーム目を取られて、2ゲーム目も後半に追いつかれてジュースになりましたが、そこをしっかりと取ったことで自分の展開が作れて、4―1で勝ちました。
●――次の準々決勝では樊振東と対戦しました。
張本 試合前の気持ちはすごく整っていました。勝てるかどうかはやってみなければわからないけれど、0―4や1―4とかで簡単に負けることはないという気持ちでコートに入ることができました。
 試合前の2分間の乱打では、樊振東の強さというかオーラを感じましたが、でもオリンピックという舞台では普段の大会よりも怖さは感じないんです。相手が世界チャンピオンだとか、これまでの実績ではなくて、人間対人間の勝負になる。オリンピックはそういう気持ちで戦う場です。この時も過去の勝敗を気にせずに入ることができました。
 1ゲーム目は準備してきたものを出すことができました。技術、戦術という面では、レシーブはチキータから攻めていくと決めていたし、相手のレシーブはリスクを取ってこないから、自分から攻めようと考えていて、それができた。バックハンドは先に強く打つと決めていて、準備してきたものがほぼ完璧にハマってゲームを先行できました。でも、これがずっと続くとは思っていませんでした。
●――2ゲーム目も11―9で張本選手が奪いました。この時に考えていたことは?
張本 「まだ、準備してきた貯金があるな」と思いました。でも、2ゲーム目で(貯金を)ほぼ使い切ってしまったという実感もあった。1ゲーム目を11―2で快勝できたのに、2ゲーム目はもう2点差まで詰め寄られている。ぼくはもう出し尽くしている感覚があって、樊振東もそういう感じはあったけれど、まだ全部は出していませんでした。
●――2―2に追いつかれて、その時はどういう心境になりましたか?
張本 2―1になった時には、もう追いつめられている感じを受けました。ゲームをリードしているのに、気持ち的にはリードしている気がしない。でも、2―2になったらリードとかそんなことを考えるんじゃなくて、やるしかないと思うことができました。
 それまでサービスは、横上回転系を出して上回転のラリーにする戦術を取っていましたが、5ゲーム目からは同じ展開は通用しないので、縦回転系のサービスでナックルを多めに切り替えました。そして、レシーブもそれまでのチキータからストップを多めにしてみると、5ゲーム目を11―4で取れた。もう出し尽くしたと思っていたけれど、「俺にはまだ新しい戦術があったのか」と思いました。
 でも、6ゲーム目になるとその戦術も慣れられて4―7と離されました。ここから7―7に追いついたけれど、あの時のぼくには本当にもうやれることがなかった。それでも、最後の7ゲーム目は「今持っているものを出し切って戦う」という思いで立ち向かいましたが、1点を取るのがこんなに厳しいのかと実力差を感じていた。7―6までいったけれど余裕は全くないですし、「これだけ積み上げても1点しかリードできないのか」と。そして気がついたら7―9で逆転されていた。
●――試合後にコメントしていましたが、最後には「地力の差が出た」と言っていました。
張本 7―6から5連続得点されている以上、出し切ったとは言えないかもしれませんが、得点も失点も含めて、あれが今の自分のすべてなのかなと思っています。
 最後の7―7から樊振東の2本のツッツキを決め切れなかったのはまさに地力の差で、最初のツッツキをバックドライブで強打できずにループドライブになって、それを樊振東にカウンターされたのも地力の差。
 次も必ずバック側にツッツキしてくるのがわかっていたけれど、得意のバックドライブではなくて、回り込んでフォアドライブをしにいった。
 ミスをしてしまったけれど、回り込みをさせられている時点で、ぼくと樊振東には地力の差があったということです。もし回り込みフォアドライブが入っていたとしても、樊振東にカウンターをされていたと思います。リスクを負って回り込みをさせられた時点でダメでした。
 オリンピックの準々決勝、対中国選手の最終ゲームの7―7でぼくが出せた最高のドライブはあの緩いバックドライブだった。勝つためにはあそこで得点になるようなバックドライブを打たなければいけなかったけれど、あれがぼくの精一杯のプレーでした。

ロスでは最低でも銅メダルの選手と言われるようにならなければ、金メダルを目指す資格もない

●――混合ダブルス、シングルスでメダルを逃して、最後の団体戦を迎えました。
張本 仮に個人戦でメダルが取れていても、団体戦は必ずメダルを取らなければいけないと思っていました。初戦でオーストラリアに勝って、準々決勝のチャイニーズタイペイ戦では、ぼくが2番で林昀儒に負けましたが、戸上(隼輔)と篠塚(大登)のダブルスが先に勝っていて、3番の戸上が高承睿に勝って、4番のぼくに回してくれた。この試合では特に戸上のプレーが良かったですね。あんなに簡単に高承睿に勝てる選手はそれほどいませんから。
●――準決勝ではスウェーデンと対戦して、2―0のリードから逆転負けしました。張本選手は5番でシェルベリに敗れました。
張本 モーレゴードはシングルスで銀メダルを取っていて団体戦でもここまで全勝。スウェーデンはダブルスも強いので、前半で0―2にならずに1―1にすればそこから勝負だと考えていました。
 ダブルスを取って、ぼくがモーレゴードに勝って2―0にした時には、次の3番の戸上で決めるという雰囲気になっていた。実際にここまで戸上は強かったし、カールソンにも1ゲーム目を取りました。ただ、カールソンはあとがないことで逆に思い切ってプレーをしてきた部分があって、途中からカウンターがなんでも入る状態になりました。
 4番の篠塚はモーレゴードに善戦しましたが負けて、5番でぼくとシェルベリの対戦になりました。彼とは五分五分の勝敗で、ぼくがゲームを先行されて、追いついて勝つという展開が多かったのですが、この試合では1、2ゲームとも11―5でぼくが取った。シェルベリに対してこんなにいい滑り出しはなくて、逆に少し不気味な気もしていました。3ゲーム目になって、シェルベリがフォア前からバック前にサービスを出す位置を変えてきて、回り込みフォアドライブのタイミングも合いだしてきた。そこからシェルベリは徹底して同じ戦術を取ってきて、それに対してぼくは消極的になってしまった。
●――4ゲーム目から左足を気にするしぐさが見られました。
張本 確かに終盤の2ゲームはちょっと足にきていました。でも、体力も含めて実力のうちだし、かりに足が問題なくても2―2になった時点で嫌な雰囲気はありました。3―0で勝ち切れなかった自分がいけないと感じています。もし、あの場面で中国選手だったら、スパッと3―0で勝っていたと思います。逆転して勝つとか、逆転されそうだけどぎりぎりで勝つとか、中国選手はそうではなくて、実力で普通に勝つ。ぼくもそういう選手になりたいし、ならなければ今後もオリンピックでメダルを取ることは難しいと感じています。
●――銅メダル決定戦のフランスには、0―2から2―2に追いついたけれど、逆転はできなかった。
張本 結果論になりますが、2番でぼくがF・ルブランに勝っていたらチームも勝っていたと思います。F・ルブランとの最終ゲームの10―7からは、やれることはやったうえでの逆転負けでした。負けた以上は何か理由はあるわけで、自分が悪くなかったとは言えません。でも、あの場面ではぼくが消極的になって逆転されたわけではなくて、マッチポイントを取られてもF・ルブランが普通にプレーをしてきた。むしろ精度が上がったプレーをしてきました。それは彼の性格でもあり、メンタルの強さでもある。こういう部分にも彼がシングルスでメダルを獲得した理由があるのだと思います。地元の大声援もプレッシャーではなく、若く、勢いのある彼にとっては追い風になっていたと感じています。
●――張本選手がパリ五輪で得たものと、失ったという言い方はちょっと違うのかもしれませんが、そういったものはありましたか?
張本 失ったものはないですね。パリ五輪に限らず、これまでの卓球人生では勝ちも、負けも両方から得ているものがあります。うれしいことも悔しいこともありましたが、悔しいからマイナスであるわけではないです。勝っても負けてもぼくの中で積み上がっていて、もしかしたら負けからのほうが積み上がるものが大きいのかもしれません。
 パリ五輪を戦い終えて感じたことは、樊振東や王楚欽(中国)のような選手になりたい。あの立場になりたいと強く思えたことが大きいです。
 次のロスオリンピックでは、「中国のふたりと張本がメダルを取る」と彼らに並ぶようにならなければいけない。ドローが良かったとか、中国選手が早くに負けたからとか、そういうメダルの取り方しかできないようならば、ロスでもメダルは取れない。パリでのぼくは、そういう形でしかメダルを取ることができない選手でした。
 ロスでは、最低でも銅メダルの選手と言われるようにならなければ、金メダルを目指す資格もないと思っています。
●――ありがとうございました。

 東京五輪を経て、名実ともに日本男子のエースとしてチームを牽引してきた張本智和。メダルを誓ったパリの地で、わずかに届かなかったメダル。その悔しさを、私たちは想像することもできない。 インタビューの最後に張本が口にした、「負けからのほうが積み上がるものが大きいのかもしれません」という言葉が頭から離れない。パリでの敗戦を糧に、さらに大きく成長していく若きエースの勇姿を見続けたい。(文中敬称略)■