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真説 卓球おもしろ物語7【日本への伝来 ~日本にピンポンを伝えた 大学教授 坪井玄道】

〈その7〉卓球王国2021年1月号掲載

Text by

伊藤条太Jota Ito

卓球ジャーナリスト、卓球歴史研究家である伊藤条太氏が史実に隠された「おもしろ秘話」をちりばめて卓球の歴史をご案内。今回の舞台は卓球が伝来した頃の日本。昔のグリップ・打法は何とも味わい深い。
●参考文献:『東京歯科医学専門学校学生会卓球部二十年史』下田次郎、『卓球アンソロジー』田辺武夫、『20世紀初頭における日本のスポーツ用品産業』中嶋健、『日本卓球技術史』福士敏光

日本にピンポンを伝えた大学教授 坪井玄道   

 ヨーロッパの守備中心の卓球が成熟を迎えていた1952年、日本が世界選手権に初出場し、見事4種目のタイトルを奪い取った。初出場した日本が、なぜいきなり世界のトップに立てたのだろうか。それは、日本の卓球にはそれまでの50年もの歴史の積み重ねがあったからだ。
 日本に卓球が伝来したのは明治35(1902)年のことだった。東京教育大(現・筑波大)教授の坪井玄道が体育教育の視察のためにヨーロッパ数カ国を回り、4月にロンドンを訪れた。先に滞在していた女子高等師範学校(現・御茶の水女子大)教授・下田次郎の下宿に3週間ほど滞在したという。当時、ロンドンはピンポンの大ブームの真っ最中である。体育教育者である坪井がそれを知ってこの時期にロンドンを訪れたのかは定かではないが、ともかく坪井は下田の下宿の食堂の食卓でピンポンに熱中した。

日本に卓球を伝えた、東京教育大教授・坪井玄道

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