呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
真説 卓球おもしろ物語9【日本卓球界への黒船来襲!〜消えたボール、フィンガースピンサービスの脅威】
〈その9〉卓球王国2021年3月号掲載
Text by
伊藤条太Jota Ito
卓球コラムニストで歴史研究家の伊藤条太氏がいざなう、おもしろ真面目な卓球歴史の世界。国際ルール(硬式)全面移行後の昭和13年、ハンガリーより欧州卓球が日本に上陸。超満員の観客が見守る中、日本卓球界初となる国際交歓試合が開幕した。
参考文献:『卓球界』1947~1949年、『卓球は血と魂だ』田舛彦介、『卓球物語』藤井基男、『卓球・知識の泉』藤井基男
写真:「写真で見る日本卓球史」(公財)日本卓球協会(平成15年)
ハンガリーからの黒船来襲!
学生卓球界が、国際ルールである硬式卓球に全面転向した半年後の昭和12(1937)年9月、ハンガリーから一通の手紙が日本卓球協会に届いた。世界選手権で金メダル15個(歴代2位)の記録を持つ、ミクロシュ・サバドスからだった。ピークが過ぎていたとはいえ、当時まだ25歳。正真正銘(しょうしんしょうめい)のトップ選手だ。
そのサバドスが、チームメイトであるイスティバン・ケレン(同じく金メダル7個)とともに、オーストラリア、ニュージーランド遠征の帰りに日本に寄って試合をしたいという申し出だった。当時のトップ選手はこのようにして世界中を巡業していたのだ。
ついに世界と勝負できるとあって、日本卓球界は大騒ぎとなった。まさに黒船襲来とも言える大事件だ。しかし、その実現までにはかなりの紆余曲折(うよきょくせつ)があった。
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