【People】比護洋平:部活指導を軸に、卓球に対し全方向に情熱を傾ける男
卓球王国2024年11月号掲載
比護 洋平[新潟・小千谷市立小千谷中 教諭]
新潟全中の会場で役員として奔走していたのが、小千谷中の教諭、比護洋平。新潟県卓球中学部にとって実働部隊の中心的存在であるとともに、類を見ない卓球愛を持つ男でもある。
部活は人間形成の貴重な場だと思っています。子どもたちにとっても、喜んだり泣いたり、こんなに心が動く時間は、ほかになかなかないのではと思います
全中の取材で会場を訪れると、先に比護から声をかけられた。弊誌創刊300号記念特集(22年5月号)では、創刊号から全号を揃える愛読者として誌面に登場した比護は、我々取材陣の顔も当然のように知っていた。多忙な大会進行の合間を縫っての取材では、卓球の仕事の話に留まらず、多方面の卓球談義で盛り上がった。比護は想像以上に卓球への熱量を持つ人物だった。
1976年、新潟県生まれの比護は、地元中学で卓球部に入った。そこで出会った顧問・磯貝昭夫の部活での指導、そして学習指導が比護を大きく惹きつけた。それが卓球にのめり込むきっかけになっただけでなく、中学生の時点で将来は教職に就いて卓球部の顧問になることを決心したほどだった。
「ただ楽しくてしかたがなく、朝練から没頭して卓球ばかりやっていました」という比護。齋藤清(全日本優勝8回)や金擇洙(韓国/92年五輪銅)に憧れて日本式ペンを振り続ける日々は、糸魚川高、新潟大に進学しても変わらず。部員から「卓球バカ」の烙印を押されたが、その熱量はその後も衰えなかった。
大学卒業後に国語教師として小千谷中に赴任し、初年度から卓球部顧問を務めた。その後、中学を異動する度に卓球部の顧問を務め、現在は2度目の赴任となる小千谷中で、生徒に卓球の技術と魅力を伝える日々が、変わらず続く。
「教員の働き方改革や地域スポーツへの移行などで、部活縮小の流れとなっていますが、部活の指導をしたくて教職に就いたような私としては寂しいですね」と語る比護。2012年から県中体連卓球専門部長を6年、その後は県卓連中学委員長を務め、教師としての仕事以外にも多忙を極める日々を送る。「部活にも時間を取られて大変では?」との質問に対しては、「部活はただただ楽しいだけ。半分趣味です」と笑って否定した。
「楽しいだけでなく、部活は人間形成の貴重な場だと思っています。それこそ、挨拶できるか、服をたためるか、宿題をやってるか、そんなチェックをしたり。子どもたちにとっても、喜んだり泣いたり、こんなに心が動く時間は、ほかになかなかないのではと思います」
情熱の対象は、部活指導だけに留まらない。昔から卓球の新聞記事を見つけると宝物のように感じ、切り抜き保存し続けている。卓球のテレビ放映を録画したビデオテープやDVDは数百本。用具マニアでもあり、所有ラケットは“観賞用”を含め百本以上。全日本やTリーグの観戦にも行ける限り行き、スウェーデンで卓球大会に参加したこともあった。
「長年、卓球に携わり続けていると良いことがあります。講習会でトップ選手に来ていただき、普段会えないような方と会う機会も増えました。卓球で培った人脈は、私の財産です」
自他ともに認める「卓球バカ」である比護は、中学の部活を軸に、愛してやまない卓球に全力で関わり続ける。その熱量は、多くの教え子や周囲の人々にも伝わり、新潟県卓球界全体をホットにするほどだ。
(文中敬称略)
比護洋平(ひご・ようへい)
1976年8月19日生まれ、新潟県糸魚川市出身。10歳から卓球を始め、新潟大を卒業後に中学校教諭となり、1年目から現在に至るまで卓球部顧問を続ける。2012年から新潟県中体連卓球専門部長を6年間務めた後、19年から新潟県卓球連盟理事、同連盟中学委員長を務める