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真説 卓球おもしろ物語11【卓球ニッポン黄金時代〜新人選手たちによる「卓球ニッポン」の幕開け〜】

〈その11〉卓球王国2021年5月号掲載

Text by

伊藤条太Jota Ito

『マンガで読む 卓球ものがたり』の原作者・卓球コラムニストの伊藤条太氏による、卓球の歴史に隠された興味深い物語を紹介するこのコーナー。今回は、卓球ニッポンの黄金時代。選手が活躍し卓球熱が高まる中、さまざまな用具も誕生していた

参考文献:『卓球・知識の泉』藤井基男、『笑いを忘れた日』荻村伊智朗
写真:『写真で見る日本卓球史』(公財)日本卓球協会(平成15年)

新人選手たちによる「卓球ニッポン」の幕開け

 1952年世界選手権ボンベイ大会(現ムンバイ)で初出場にして4種目を制覇するという鮮烈なデビューを果たした日本の卓球だったが、翌1953年のブカレスト大会(ルーマニア)は日本政府の渡航許可が下りず不参加となった。当然のようにすべての種目でヨーロッパの選手が優勝し、フェレンツ・シド(ハンガリー)が3冠、アンジェリカ・ロゼアヌ(ルーマニア)が4冠という圧倒的な力を示した。世界の卓球人はボンベイでの日本の衝撃は幻だったのではないかと思ったかもしれない。
 そして迎えた1954年世界選手権ロンドン大会(※ITTF(国際卓球連盟)では「ウェンブレー大会」と表記。ウェンブレーはロンドンの郊外の町)。空港に降り立った日本選手団の姿は卓球ファンを驚かせた。ボンベイ大会に出た選手が一人も入っていなかったのだ。「日本は負けたときの言い訳として新人だけを送ってきた」という噂が立ったが、リチャード・バーグマン(イングランド)は「私はそうは思わない。彼らもかなり強い。グループリーグで2位になる力は持っていると思う」とコメントをした。バーグマンはボンベイ大会の後、日本中を試合して回った経験から、日本選手のレベルを知っていたのだ。
 しかし日本選手の実力はバーグマンの予想を超えていた。日本はグループリーグで優勝候補のハンガリーを破って1位となり、決勝リーグではバーグマンのいるイングランドを5─2、チェコスロバキアを5─4で破って優勝してしまったのだ。
 その原動力となったのが、21歳の日大生、荻村伊智朗だった。荻村は「弾みすぎてカット打ちをするのは無理」と言われたスポンジラバーを貼り、「入る可能性が51%以上あると思ったボールはすべて全力でスマッシュし、それ以外のボールは絶対にミスをしない」という、後に「51%理論」と言われる新しい考え方で、チェコスロバキアのイヴァン・アンドレアディスに1敗した以外は全勝した。

団体戦で19勝1敗、男子シングルスで優勝した荻村伊智朗

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