【伝説のプレイヤーたち】河野満 後編 「人とは逆を行く。私は小さい頃からそういう考え方だったし、それが自分らしいと思っていた」
The Legends 第21回 河野満(1977年世界選手権男子シングルス優勝/卓球王国2019年5月号掲載)
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日本男子が生んだ6人目の世界王者・河野満。
「大器晩成」という言葉は、この天才プレーヤーにこそ相応しい。
相手の動きを見切る特別な「眼」を持ち、緩急自在の両ハンド速攻は、
速攻の本家・中国をも唸らせた。
世界選手権に出場すること6回。
苦節の日々を経て、名花は満開の時を迎えた。
■Profile こうの・みつる
1946(昭和21)年8月13日生まれ、青森県出身。小学4年から本格的に卓球を始め、三本木中を経て青森商業高3年時に全日本ジュニア優勝。専修大に進学し、大学3年時の67年世界選手権で男子シングルス準優勝。6回目の出場となった77年世界選手権で優勝し、同年12月の全日本選手権で3連覇を達成して現役を退いた。右ペンホルダー表ソフト攻守型
今もそうだけど、伊藤くんとは仲が良かった。
でも何をやっても負けたくなかった
専修大に入学後、1年の関東学生秋季リーグから団体戦のレギュラーに抜擢された河野。河野の入学と同時に専修大男子卓球部の監督に就任した川井一男(54年世界選手権男子団体優勝)は、河野、伊藤繁雄、馬淵常美の1年生3人を主軸に、4年間で黄金時代を築き上げようとしていた。その中でも、河野と伊藤の存在感は別格だったと川井は語る。
「河野と伊藤は絶対的に得点が計算できる存在だった。伊藤は常に闘志満々だったけど、河野はあまり声を出さないクールなプレー。秘めた闘志で戦う姿は、今の若い選手にも見習ってほしい。30歳で世界チャンピオンになれたというのは、逆に言えばそれだけ大きな闘志を内側に秘めていた、ということでしょうね」(川井)
2年間の社会人生活を経て専修大に入学した伊藤は、69年世界選手権で初出場・初優勝を飾り、日本男子5人目の世界チャンピオンとなった。2歳年上で兄と同い年の伊藤を、河野は「兄貴」と呼んだが、ラケットを握れば誰よりも負けたくないライバルだった。