真説 卓球おもしろ物語13【激突!日本vs中国、日本の弱点バックハンドを突いた中国】
〈その13〉卓球王国2021年7月号掲載
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卓球コラムニストの伊藤条太氏が、卓球の歴史に隠された興味深い物語を紹介するこのコーナー。今回の舞台は1961年、世界選手権北京大会。日本の弱点を徹底的に突いた中国が、男子の団体・シングルスの頂点を日本から奪い去った。
参考文献:『がんばれ日本人』田舛彦介
写真:「写真で見る日本卓球史」(公財)日本卓球協会(平成15年)
1961年北京大会、対策されていたループドライブ
日本は、ループドライブという新兵器を引っ提げて1961年世界選手権北京大会に臨んだが、男子団体の決勝リーグで中国に3−5で敗れた。
1954年ロンドン大会以来、維持し続けた王座を明け渡した瞬間だった。中国はループドライブの情報をハンガリー選手や日本の卓球雑誌から得ており、薛偉初(シー・ウェイチュー)、胡柄権(コ・ヘイケン)といった選手にマスターさせて対策をしていた。
中国がループドライブの情報を得た雑誌は、恐らく『卓球レポート』だろう。打ち方から効果までが詳細に図解されているのだ。しかし『卓球レポート』が失態をおかしたわけではない。そもそも日本はループドライブを秘密にするつもりはなかった。
だからこそ北京大会の前年の日欧対抗戦でループドライブを連発したのだし、それどころか、その試合をハンガリーの選手たちが8ミリ映写機で撮影しており、その秋に彼らが中国を訪れる予定であることも、日欧対抗戦の後の『卓球レポート』に荻村が書いているのだ。その手記の最後は「勝負がループドライヴだけで終わるものにならぬように、充実した応手を期待したい」と締めくくられている。相当に余裕をかましていたのだ。
ちなみにループドライブは、筆者が知る限り1940(昭和15)年の水口廣著『女子卓球新指導』に出てくるのが最初だが、語源は書かれていない。面白いのは、1947(昭和22)年の『卓球界』という雑誌には「ドライブの一種でおもに庭球で使用されるが、ドライブに一層輪をかけた回転で打たれる」と書かれていることだ。