[今野の眼]「家庭が壊れてしまう」と嘆くプロコーチの憂鬱。優秀なコーチがいなければ選手は育たない
[アーカイブその4]馬龍、語る。「確かに世界選手権で優勝したことは階段を一段上がったことだけど、これは始まりでもある」
卓球王国2015年9月号掲載
類い希な身体能力と打球センスを持ちながら、その「心の優しさ」ゆえにビッグタイトルを逃してきた馬龍。
2012年のロンドン五輪ではシングルスの金メダル候補と目されながらもエントリーではシングルス枠から外された。
失意の時を経て、経験と自信を積み重ねて世界の頂点に立った馬龍。
これが、王者の独白だ。
Interview by
今野昇Noboru Konno
世界選手権が終わった瞬間に頭はオリンピックに切り替わっています。オリンピックがあったから今まであきらめなかった
馬龍●マ・ロン
1988年10月20日生まれ、遼寧省出身。13歳の時に北京市チームに移籍し、04年世界ジュニア選手権を制して頭角を現す。06年世界選手権団体戦で初の世界代表となり、それから10大会連続で世界選手権に出場。09・11・13年大会はいずれも男子シングルス3位だったが、2015年5月の蘇州大会で初優勝。12年ロンドン五輪団体金メダル、12年男子ワールドカップ優勝。右シェーク両面裏ソフトドライブ型。2015年当時の世界ランキング1位(2015年7月発表)
勝つためには相手の弱点を早く見つけて徹底的につぶしていくのが鉄則です
●ー今回、初めてのプラボールの世界選手権(2015年)でしたが、戦術や技術で変わった点はありますか。
馬龍 みんなはボールがプラスチックに変わった、変わったと言うけれども、(グルー禁止で)水溶性グルーになった時よりは大きな変化はない。意識はしていないし、そこまでの変化は感じていません。