【伝説のプレイヤーたち】小野誠治 後編「前を走る人がいても、必死で努力を重ねていけば、必ず追いつける日が来るんです」
The Legends 第23回 小野誠治(1979年世界選手権男子シングルス優勝/卓球王国2023年12月号掲載)
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相手が自信を持って打ち込んだ決定打に、小野誠治のカミソリスマッシュが炸裂する。
閃光のような一撃、呆然と見送る相手。
ネットより低いボールでも打ち込めるよう、小野は恐るべき猛練習を積んだ。
瞬く間に世界の頂点へと駆け上がりながら、息の長い現役生活を全うした、
「最後の世界チャンピオン」の物語だ。
■Profile おの・せいじ
1956年6月18日生まれ、愛媛県出身、三瓶東中1年時に卓球を始め、三瓶高を経て近畿大に進学し、大学3年時に全日本学生優勝。実業団の日本楽器(現・ヤマハ)に入社した1979年に世界選手権ピョンヤン大会で初出場・初優勝。83年世界選手権男子複3位(阿部博幸とのペア)、86年全日本選手権優勝、88年ソウル五輪ベスト16。左ペンホルダードライブ型
ホテルに戻った夜は興奮して眠れなくなった。
何か大変なことをしてしまったという感じでした。
近畿大を卒業後、小野は実業団の名門・日本楽器(現:ヤマハ)に入社。4月25日に開幕するピョンヤン大会の前は強化合宿が続き、入社式に出る余裕もないままピョンヤンへと飛んだ。
当時の世界選手権は大会前半に団体戦、後半に個人戦、合わせて12日間の長丁場。しかも団体戦は3選手が3回ずつ出場する9シングルスだった。小野は高島とともに団体戦の予選リーグからフル出場し、17勝6敗と大活躍。日本は優勝したハンガリーに準決勝で1−5で敗れたものの、小野は当時のヨーロッパチャンピオンであるゲルゲリーを破った。
3位決定戦ではチェコに5−3で競り勝ち、世界の舞台で初めての銅メダルを獲得。「世界で戦えるんだという自信がついた」と小野は語る。
団体戦だけで23試合を戦い、男子シングルスに臨んだ小野。ステルバーグ(西ドイツ・当時)を3−2で破ってベスト16に入り、4回戦から中国選手との「伝説の4連戦」が幕を開ける。