呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
Top of Asia 張本智和『優勝を意識しなくていいからと言ってもらえて、その言葉に救われました』
卓球王国2025年1月号掲載
カザフスタンで開催されたアジア選手権。 そのフィナーレを飾る男子シングルス決勝で林詩棟(中国)を破り、 50年ぶりに日本に栄冠をもらたした張本智和。パリ五輪の敗戦を受けて、 いち早く練習を再開した「努力の天才」を、卓球の神様は見ていた。
Interview by
中川 学Manabu Nakagawa
写真=カザフスタン卓球協会
はりもと・ともかず 2003年6月27日生まれ、宮城県出身。両親の影響で2歳から卓球を始め、全日本選手権のバンビ・カブ・ホープスで6連覇を達成。13歳で世界選手権シングルスでベスト8入りし、14歳で史上最年少の全日本チャンピオンになるなど、国内外で数々の最年少記録を更新。東京五輪の男子団体で銅メダルを獲得。10月のアジア選手権では日本男子として50年ぶりの優勝を飾った。世界ランキング8位(11月1日現在)
パリが終わってから3日間だけ休養して、4日後には練習を始めました
1974年の横浜大会の長谷川信彦以来、実に50年ぶりにアジア選手権の男子シングルスで優勝した張本智和(智和企画)。団体戦では慣れないボールと卓球台に戸惑ってメダルを逃したが、シングルスではその悔しさをバネに徐瑛彬(中国)、林昀儒(チャイニーズタイペイ)を連破。準決勝で好調の呉晙誠(韓国)を下すと、決勝では今最も勢いのある林詩棟(中国)に打ち勝った。 パリ五輪後に誓ったアジアチャンピオンの称号を手にした張本に、自身の戦いと日本男子について深く語ってもらった。
●――アジア選手権のシングルス優勝おめでとうございます。大会を振り返ってみてもらえますか? 張本智和(以下・智和) パリ(五輪)では結果を出せずに悔しい思いをしましたが、すぐに目標を設定しなければいけないと考えました。今年で言えばアジア選手権とWTTファイナルズ福岡を目標にして、パリ後にこの2つの大会で優勝したいとコメントしたと思いますが、アジア選手権ではそれを実現することができました。 東京(五輪)後は1カ月くらいゆっくりして、そうしたら良い結果にならないことも多かったし、全日本も負けました。その教訓があったので、パリが終わってから3日間だけ休養して、4日後には練習を始めました。おそらくパリで上位に行った選手の中ではぼくが一番早く練習を再開したと思いますし、パリに出ていない林詩棟は休まずにずっと練習をしていたはずです。その2人が(アジア選手権男子シングルスの)決勝を戦ったわけですから、練習は裏切らないと感じました。 ●――そうした心構えと行動によって、つかんだ優勝だったわけですね。 智和 そうですね。でもWTTチャンピオンズマカオもチャイナスマッシュも結果が出なかったし、北京で負けたモーレゴード(スウェーデン)はパリを終えてからぼくよりも休んでいたのに勝てなかった。そういう理不尽なことが起きつつも、今大会に限っては努力が報われたのかなと思っています。