ロゴ画像
卓球王国PLUS > インタビュー > 呉光憲「私も信頼関係のあった人にすごく攻撃されて、びっくりしました。申裕斌はまだ20歳なのに攻撃を受け、心身ともに大変でした」
記事見出し画像

呉光憲「私も信頼関係のあった人にすごく攻撃されて、びっくりしました。申裕斌はまだ20歳なのに攻撃を受け、心身ともに大変でした」

卓球王国を独占記事 <前韓国代表監督・呉光憲インタビューVol.3>

呉光憲は22歳でプロの指導者になっている。つまり、選手としてのキャリアを捨てていたのだ。
韓国の歴代の代表監督は選手としての実績を残した人ばかりが指導していた。そこにメスを入れたのは元五輪金メダリストで、2021年当時、韓国卓球協会会長だった柳承敏だった。会長は代表監督を「公募」にした。そして呉光憲は手を挙げた。
しかし、代表監督に選ばれたものの、先輩たちからは「選手としての実績もない、ナショナルチームの経験がないくせに」と陰口を叩かれていた。
2024年2月の地元での世界選手権釜山大会は、呉光憲とエースの申裕斌にとって大きな試練の場となった。

パリ五輪での申裕斌と呉光憲 PHOTO ITTF/REMY GROS

Interview by

今野昇Noboru Konno

[呉光憲 オ・グァンホン]
1970年9月9日、韓国・富川生まれ。22歳からプロ卓球コーチとしてソウル商業高校の指導、24歳の時に来日、淑徳短大の監督として活動。その後、2013年にナショナル女子チームのコーチに就き、その後、ジュニアナショナルチーム(JNT)の監督に就任。2017年に韓国に戻り、実業団チーム監督を経て、2022年に韓国女子代表チーム監督に就任。2024年パリ五輪では混合ダブルスと女子団体で2個のメダルを獲得した。パリ五輪後に監督を辞任し、現在、実業団の「ポラム」のGMを務める

お母さん一人ぼっちだったんですよ。だからもう、お母さんのところに帰ってもいいかなと思いました

●ー呉さんは2016年12月の世界ジュニアが終わって韓国に戻りますね。その年のリオのオリンピックの時には日本のスタッフで行ってましたね。なぜ韓国に戻ったんですか? そこまで日本の選手と上手くやってたし、そのままやっていたら日本の代表監督の道もあったと思うけど。46歳の時ですね。

呉光憲(以下呉) 自分も一人息子だし、お父さんはぼくが21歳の時に亡くなったので、お母さん一人ぼっちだったんですよ。だからもう、お母さんのところに帰ってもいいかなと思いましたし、あと娘が2013年に小学校を卒業して、その時に韓国の偉い方から、「もうそろそろ韓国に来てもいいじゃないの?」と言われました。「チームを作ってあげるよ」と。2013年にも来てくださいと言われてました。

卓球王国PLUS有料会員になると続きをお読みいただけます

卓球王国PLUS有料会員は月額440円/税込。
登録すると「卓球王国PLUS」の記事をすべて閲覧できます。
退会はいつでも簡単にできます。