呉光憲の申裕斌への手紙「マスコミから批判があるかもしれないけど、それもひとつの力だと思って、負けたらダメです。自信を持って頑張りなさい」
卓球王国を独占記事 <前韓国代表監督・呉光憲インタビューVol.4・最終回>
呉光憲と申裕斌は2024年2月の世界選手権釜山大会後にメディアや一般の人から猛烈なバッシングを受けた。
その半年後のパリ五輪でのメダル。それまでの呉光憲と申裕斌の物語、そしてチームメイトとの絆は語り尽くせいないほど深いものだった。
呉光憲とのロングインタビューの完結編である。
Interview by
今野昇Noboru Konno
[呉光憲 オ・グァンホン]
1970年9月9日、韓国・富川生まれ。22歳からプロ卓球コーチとしてソウル商業高校の指導、24歳の時に来日、淑徳短大の監督として活動。その後、2013年にナショナル女子チームのコーチに就き、その後、ジュニアナショナルチーム(JNT)の監督に就任。2017年に韓国に戻り、実業団チーム監督を経て、2022年に韓国女子代表チーム監督に就任。2024年パリ五輪では混合ダブルスと女子団体で2個のメダルを獲得した。パリ五輪後に監督を辞任し、現在、実業団の「ポラム」のGMを務める
田志希がインタビューで、「監督は悪くない。申裕斌も悪くない。悪いのは私だ」とメディアに言いました
呉光憲はスマートフォンの電源を切り、家にこもった。20歳の申裕斌は精神的にダメージを受けていた。
2024年2月の世界選手権は地元の釜山大会。準々決勝で対戦したのは王者・中国。中国に敗れ、メダルは逃したが韓国女子が責められる理由などどこにあったのだろうか。
それとも、「選手としての実績のない呉光憲が監督になったことへのやっかみや嫉妬のせいなのか」、多くの人が呉光憲を批判するチャンスをうかがっていたのだろうか。「もう話もしたくなかったんです。だから、もう辞めるつもりでした」(呉光憲)。パリ五輪を前に監督の心は揺れていた。