Top of Asia 張本美和・後編 『私は勝っても負けても、しっかり相手の顔を見て握手するようにしているんです』
[情熱家としての荻村伊智朗]卓越した才能と崇高な情熱を持った真実の友
荻村伊智朗没後30年 卓球王国2015年3月号掲載 <児玉圭司(日本卓球協会顧問・株式会社スヴェンソン会長)>
「日本にはオギムラがいた」
Text by
児玉圭司Keiji Kodama
その時、彼の並々ならぬ情熱を感じた。私は兄に相談はしたが、実は荻村さんに言われた後に「一緒にやろう」と決意していた
荻村さんは私にとって真実の友であり、心の友だった。
今までの私の人生を変えた人は二人いる。それは船井幸雄さんと荻村伊智朗さんである。
荻村さんとはお互いの意見を言い合い、表面的には異見を唱える仲に見えたと思うが、本質の部分ではつながっていた。
1956年世界選手権東京大会を控えた55年暮れの全日本選手権前の1カ月間、荻村さんは当時、明治大練習場があった平沼園に毎日のように来て、練習を一緒にやっていた。ゲーム練習では私は分が良かったが、本大会でランク入りしてから対戦し、惜敗した。彼は「51%理論」などに代表されるような速攻選手と言われているが、実際には攻守のバランスが良く、必勝と不敗の戦術を巧みに使い分ける選手であり、競り合いになった時にカットでしのぐほどの守備力を備えていた。