【People】河田靖司:地元・岐阜で監督生活22年。名門チームの灯を守り、地域貢献を続ける
卓球王国2025年1月号掲載(文中敬称略)
2002(平成14)年から十六フィナンシャルグループの女子卓球部監督を務める河田。今年で54歳とは思えないほど若々しく精悍だが、監督歴は22年を数え、日本リーグでも屈指のキャリアを誇る。
■Profile かわだ・やすし
1970年8月6日生まれ、岐阜県出身。高富スポーツ少年団で小学5年生から卓球を始め、高富中、県立岐阜商業高を経て専修大でも卓球部に所属。大学卒業後、十六銀行(現・十六フィナンシャルグループ)に入行し、2002年11月から女子卓球部の監督を務める
入行当初は卓球に関わるつもりはまったくなかった。人事部に「仕事だけにさせてもらえないか」と言いました
2002(平成14)年から十六フィナンシャルグループの女子卓球部監督を務める河田。今年で54歳とは思えないほど若々しく精悍だが、監督歴は22年を数え、日本リーグでも屈指のキャリアを誇る。
横谷晟(2022年世界卓球団体代表)らを輩出した岐阜・高富卓球スポーツ少年団で、小学5年から卓球を始めた河田。そのまま地元の高富中から県立岐阜商業高と地元校に進学し、推薦で進学した専修大でも卓球部に籍を置いた。
十六銀行(当時)への入行にも卓球が関わっているのかと思いきや、「内定が出た中で一番大きな会社だった」から。むしろ、卓球に関わるつもりは全くなかったという。内定が出た後に「卓球のこともちょっと手伝ってもらえれば」という話が出てきて、前期日本リーグや全日本実業団に帯同するなど、4カ月ほど女子卓球部を手伝ったが、「同期に遅れを取りたくなかった」と仕事に専念する道を選んだ。
「ずっとやってきた卓球に関わることができるという点では嫌ではなかったけど、将来のことを考えたら不安を感じました。中途半端に卓球部に関わりながら、このまま歳を取っていくイメージも湧かなかったので、人事部に『仕事だけにさせてもらえないか』と言って、入社1年目の8月くらいからは普通の銀行員生活が始まりました」(河田)
営業成績も優秀で、たびたび社内表彰も受ける銀行マンとして卓球とは無縁の20代を過ごした河田。大きな転機となったのは32歳での決断だ。金融系企業への転職を考え、すでに内定ももらっていた河田は、退職者面談で意外なことを告げられる。女子卓球部の飯田光男監督が定年による退任を迎え、大学まで卓球の経験があった河田が、後任として監督就任を打診されたのだ。
「そこで踏みとどまった」という河田。「どこかでもう一度卓球に関わりたいという気持ちがあったのかなと思います。後任の監督として考えていると言ってもらって、やっぱりうれしかったですから」(河田)。そして2002(平成14)年11月、女子卓球部の監督に就任した。
十六銀行の女子卓球部は1980(昭和55)年に創部。創部時から「卓球部を作るのであれば、日本一を目指す」という姿勢で、選手たちには仕事をせずに練習に打ち込める、恵まれた練習環境が与えられていた。盛大な社内卓球大会が行われ、卓球は十六銀行の「社技」に位置づけられていたが、充実した戦力を誇りながら日本リーグ1部での優勝はゼロ。十六銀行が(女子1部リーグで)優勝していないのは、日本リーグの七不思議とさえ言われていたという。