ロゴ画像
卓球王国PLUS > 読み物+ > 【セカンドキャリア】川嶋崇弘「大変なことも多いから、喜びや目標がないと仕事は続けられない」
記事見出し画像

【セカンドキャリア】川嶋崇弘「大変なことも多いから、喜びや目標がないと仕事は続けられない」

[全日本選手権混合ダブルス優勝・川嶋ジュニア監督]

卓球王国2025年2月号掲載 vol.19

全日本選手権の混合ダブルス優勝という実績を残した川嶋崇弘は、29歳の時に会社を辞めてプロ卓球選手になった。6年間のプロ生活を経た後に、指導者の道を歩む。選手時代とは立場が違う指導者という仕事だが、教えることに喜びを感じている。4年前に自分の卓球場を作ったが、プロコーチの苦しみと喜びとは何だろうか。

Text by

今野 昇Noboru Konno

[かわしま・たかひろ]  
1971年10月23日生まれ、徳島県出身。全国中学校大会で優勝、東山高時代に全日本ジュニア3位。専修大に進み、91年全日本選手権男子ダブルス準優勝、92年混合ダブルス準優勝、92年全日本学生の男子ダブルス優勝。卒業後、びわこ銀行、ラララを経て、プロ選手となり、98年に全日本混合ダブルス優勝。35歳からプロコーチの道を歩む

ぼくは指導者としてまだ日本一になっていないんです。だから、日本一になるのが目標ですね

 川嶋崇弘は徳島で生まれた。小学3年で徳島市の佐古スポーツ少年団で卓球を始め、城西中時代に全中(全国中学校大会)で優勝。同期には平亮太、糀谷博和、小笠原剛士、入山浩治などがおり、強豪がひしめく中、東山高2年時には全日本ジュニアで3位になった。

 その後、専修大へ進み、全日本選手権の男子ダブルスで田原直昌と組んで準優勝。混合ダブルスでは小貫菜穂子と組んで準優勝と3位。全日本学生の男子ダブルスでは増田秀文と組んで優勝した。
 卒業後は、びわこ銀行、ラララと実業団選手として活躍。そして29歳の時に健勝苑に所属し、プロ卓球選手になった。

◇◇

  大学卒業後にびわこ銀行に入社し、3年半いました。17時まで仕事をして18時から練習でした。当時は将来自分がプロ選手やプロコーチになるなんて思っていなかったですね。だから、普通に銀行員として働いてから卓球の練習をしていました。

卓球王国PLUS有料会員になると続きをお読みいただけます

卓球王国PLUS有料会員は月額440円/税込。
登録すると「卓球王国PLUS」の記事をすべて閲覧できます。
退会はいつでも簡単にできます。