【People】佐藤はるか : 全日本マスターズで3位。韓国で卓球場を経営するプロコーチ
卓球王国2025年2月号掲載(文中敬称略)佐藤はるか(布袋卓球アカデミー)
2024年全日本マスターズ選手権の女子30代で3位に入賞した佐藤はるか。中学、高校と目立った成績は全くなく、大学では卓球をやめていた。そんな彼女が語学留学で訪れた韓国で再び卓球と出合い、卒業後に迷わずに韓国へ向かった。韓国に住んで10年、ソウル市内で卓球場の経営と指導を行っている。
■Profile さとう・はるか
1990年12月16日生まれ、京都府出身。小学3年で卓球を始め、洛東高時代に全日本選手権ジュニアに出場、同志社大に入学するも卓球部には入部せず、大学卒業後に韓国に渡り、卓球のプロコーチとして活動。2019年にソウル市内のソンブク区に鐘岩卓球場をオープンさせた。2024年11月の全日本選手権マスターズの部のサーティ(30代)で3位入賞。布袋卓球アカデミー所属(滋賀)
古武術をベースにした卓球を証明したい。「私を必要としてくれるし、韓国の人の人間性、情のあるところが好きですね」
全中にも出たことのない選手が古武術と出合い、身体の使い方に目覚め、京都府で優勝して全日本ジュニアに出た。佐藤はるかは、その後、大学時代に訪れた韓国に魅せられ、今ではソウル市内に卓球場を構え、プロコーチとして活動している。
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小学3年で始めた卓球だったが、全国中学校大会は一度も出ていない。洛東高に進み、卓球部の顧問だった布袋裕彦先生の勧めで、古武術の甲野善紀に出会い、それが縁でお弟子さんの高橋佳三先生(びわこ成蹊スポーツ大学教授)に毎月高校に来てもらい本格的に古武術を習い、古武術による身体の使い方でボールの力、動き方も変わり、京都で優勝して全日本ジュニアに出場した。
しかし、彼女の卓球の経歴はいったんここで終わっている。同志社大に進むも、家庭の事情で卓球部には入らなかった。そして、大学時代に短期留学で韓国に行き、その後、大学を1年間休学して韓国に語学留学した。
「町を歩いていたら卓球場を見つけたので、そこで遊びで卓球をやっていたら、『うまいね』と言われ、卓球を少し教えるようになって、大会に出たり、レッスンもするようになった」(佐藤)
2014年に大学を卒業後、佐藤は迷うことなく韓国に向かい、卓球場で指導するプロコーチとして仕事を見つけた。そして、19年10月には自分名義でソウル市内に「鐘岩卓球場」をオープンさせた。古武術を取りれた指導が韓国の人にも受け入れられている。
「韓国では何時からレディース、何時からは子どもとカテゴリーが決まっていないから、個人レッスンがメインであとは自由。小学3年生から70歳くらいまでが会員になっています。普段は昼の1時半から夜の11時くらいまで卓球場にいて、教えています。レッスンは平日やっていて、週末はみんなで勝手に使っていいよと貸している。韓国はみんなそうです」
韓国はパリ五輪の申裕斌の活躍を受けて、空前の「卓球ブーム」が到来。佐藤の卓球場から徒歩10分以内にも卓球場が3つできた。鐘岩卓球場はビルの4階にあり、5台を揃え、佐藤がひとりで切り盛りしている。
「コロナの時期は大変でしたが、今は順調です。選手としての練習はできないけど、1カ月に1、2回は町内大会や全国レベルの大会にも出場していますし、アマチュア卓球界では有名になってきて、卓球ショップとも契約しています」
全日本マスターズに出場する意味を問うと、「布袋卓球アカデミーとして出て、古武術をベースにした卓球を証明したい気持ちと、自分がどこまでやれるのかという挑戦の気持ち。自分の卓球場の会員からは『頑張って』と送り出されて、3位で帰ってきて、『おめでとう』と言われたけど、この大会の権威はわかってないでしょうね」と笑う。
「私も最初は10年もいると思っていなかったけど、卓球の指導をすると喜んでくれて、私を必要としてくれるし、韓国の人の人間性、情のあるところが好きですね。将来は日韓交流の架け橋になる仕事をしたい」と佐藤は語る。
日本と韓国を行き来する日々だが、彼女の根っこはすでに韓国にしっかりと張られている。 (文中敬称略)