真説 卓球おもしろ物語31【史上最大の技術革新“チキータ”の登場と世界ナンバー2となった日本女子】
〈その31〉卓球王国2023年1月号掲載
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卓球史研究家・卓球コラムニストの伊藤条太氏が、独自の視点で卓球史を紹介するこのコーナー。今回は、中国女子が団体で2位に陥落した2010年世界選手権モスクワ大会から2012年ロンドン五輪までのお話。2011年ロッテルダム大会では卓球史上最大の技術革新「チキータ」を駆使した張継科が優勝。2012年ロンドン五輪で団体銀メダルを獲得した日本女子は、その裏で熾烈な戦いを繰り広げていた。
2010年世界選手権モスクワ大会(団体戦)、中国女子の9連覇を阻んだシンガポール
2010年世界選手権モスクワ大会(団体戦・ロシア)で、日本は2008年広州大会(中国)に続いて男女ともに銅メダルを獲得した。男子団体は2大会連続、女子団体は5大会連続の銅メダルだったが、まだ中国の他にも勝てないチームがあったのがこの時期である。
日本にとって中国は、それほど高く厚い壁だったが、このモスクワ大会ではその中国が敗れる波乱が起きた。
女子団体決勝でシンガポールが中国の9連覇を阻(はば)んで優勝したのである。男子より盤石(ばんじゃく)だと思われていた中国女子が敗れたことは世界を驚かせた。中国が女子団体優勝を逃(のが)したのは、1991年千葉大会で南北合同コリアに敗れて以来、実に19年ぶりのことだった。
もっとも、このときのシンガポールは、主力の馮天薇(フォン・ティエンウェイ/世界ランキング2位)、王越古(ワン・ユエグ)、スン・ベイベイ、ベンチを温めたリ・ジャウェイ、ユ・モンユ、そして周樹森(ジョウ・シュセン)監督の全員が中国から移住したメンバーだった。他国に移住した選手が自国を脅かすという中国の懸念(けねん)が現実になったのである。
一方の中国は、世界ランキング1位の劉詩雯(リウ・シウェン)、3位の郭焱(グオ・イエン)、4位の丁寧(ディン・ニン)で臨んだが、3人とも五輪または世界選手権での団体決勝の経験がなかった。
1975年以降、中国女子がそうした選手だけで決勝を戦ったのは、鄧亜萍(デン・ヤピン)と高軍(ガオ・ジュン)で臨んだ(当時は2人だけで団体戦を組めた)1991年千葉大会と、このモスクワ大会しかない。
そしてこの間、中国女子が敗れたのはこの2大会だけなのである。中国女子ほどの圧倒的実力を持つ選手たちでさえも、出場経験がなければ力を発揮できなくなるかもしれない、それほどの重圧を受けるのが団体決勝なのだ。
その後中国女子は、再び決勝経験のある選手を起用して優勝し続けてきたが、東京2020五輪では、孫頴沙(スン・インシャ)、王曼昱(ワン・マンユ)、陳夢(チェン・ムン)という決勝経験のない選手たちだけで優勝を遂(と)げた。それだけ他国との実力差を広げた表れと言えるのかもしれない。