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卓球マニア養成ギブス[ようこそ卓球地獄へ]

卓球王国ブックス「ようこそ卓球地獄へ」まえがきより<その1>

Text & Illustration by
伊藤条太Jota Ito

ようこそ卓球地獄へ。そして楽しい卓球人生を。

 先日、銀行に勤めている知人から心温まる話を聞いた。卓球経験のない同僚がテレビで石川佳純を見てファンになり、勢い余って卓球教室に通い始めたという。京都大学ボート部出身で、日焼けした屈強な体を持つ節くれだった大男(そうに決まってる)が、齢(よわい)五十にして卓球を始めようというのだ。卓球ファンとしてこんなに嬉しい話はない。末永く卓球を続けてもらいたいと心から願う。

 と同時に、彼がこれから味わうであろう試練を想像すると、いたたまれない気持ちにもなるのである。

 卓球は、勝ち負けを抜きにして打ち合うのならこれほど楽しいものはない。健康にもよいし、お金もさほどかからないし、人間関係を築くのにも最適である。しかし、卓球を始めれば勝負をしてみたくなるものだし、勝負をすれば勝ちたくなるのが人情である。ひと度そのような目的で相対したとき、このスポーツはまったく別の姿を見せる。 

 軽くて小さなボールには選手の心理状態がダイレクトに反映され、多様で策略に満ちた用具と戦術には全人格が反映される。ゆえに生じる勝者と敗者の優越感と劣等感のあまりにも鮮やかなコントラストが、まるで魅惑的な悪女のようにプレーヤーを翻弄し、かつ惹きつける。知れば知るほど、勝ちたいと思えば思うほど難しい底なし沼。これが“卓球地獄”だ。

 彼のたどるであろう道を想像してみる。卓球教室でコーチから送られるボールを打つと不思議なくらい入り、コーチも「筋がいい」と言ってくれるので、この調子で上達すれば経験者に追いついて一泡吹かせることも夢ではないのではと思う。ところが生徒どうしでゲームをしてみると入らないどころかまったく教えられたとおりに打つことができず失意の底に沈む。メチャクチャな試合ではあったが勝つには勝ち、それが思いのほか嬉しく今度は有頂天になる。

 このような高揚と落胆を繰り返しながら週二時間の教室に三カ月ぐらい通って初心者コースのカリキュラムが終了し、卓球の全体像が見えたような気がしたところで近所の卓球クラブに行ってみる。しかし、淡い期待は見事に打ち砕かれ、最年長のオバさんにすら相手にならない。どうしても納得がいかず、半年も通い続けた頃にこのスポーツの本当の難しさがおぼろげながらわかってきて、ボールの回転の見極めと足の動きを条件反射のレベルに高めるためには絶対的な練習量が必要と悟り、他のクラブにも入って練習量を増やす。

 半年、一年と過ぎるうちにだんだんとボールに対応ができるようになり、ときどき腰を回した“ちゃんとしたフォアハンド”を実戦で打てる場面が出てきて、かつて卓球教室で習った基本がこのためだったかと膝を打つ。試合でも勝てるようになってくる。こうなるといよいよ本格的に卓球にのめり込み、家でも外でも素振りを頻発するようになり、もはや頭の中は石川佳純よりも卓球そのもので一杯になる。

 しかし初めて出た市民大会で見たこともない“カットマン”と、聞いたこともない“粒高”のジイさんに今まで身につけた技術をほとんど何一つ発揮できずに負け、試合後の笑顔はこわばりトイレで泣く。ここまできて今さら止められるかとばかり、ストーカーのようになりふりかまわずその選手のクラブに押しかけて入れてもらい卓球の権化と化すが、カットと粒高の克服の壁は予想以上に高く、自分も粒高を貼ったり剥がしたりペンにしたりの迷走を経て、気がつけば早五年の歳月が過ぎ去っている。

 この頃になると技術も用具も知らないことはほとんどなくなり、初心者へのアドバイスやら試合の論評やらができる貫録・余裕のようなものが出てくる。ある日、クラブの仲間が連れてきた、卓球教室に通っているという小学生に手加減しようと思った矢先に、あわやスコンクかと思われるほどボコボコにされ、そのお兄ちゃんの中学生のサービスをまるで初めて卓球をした日のようにふっ飛ばし、やっと長い卓球道の螺旋階段をひとまわりしたにすぎない自分を発見し愕然とする。ああ愛しの卓球よ卓球さん。どうすれば微笑んでくれるのか。

 しかし心配には及ばない。あの平野早矢香でさえ、全日本を五回制覇してなお「卓球と両想いになりたいんですけど“おまえ、まだまだだよ”と言われています」と語ったのだ。それほど卓球は奥が深く難しく魅力的でゆえに悩ましい。これを受け入れる者だけが卓球を楽しむことを許されるのだ。

 ようこそ卓球地獄へ。そして楽しい卓球人生を。

●卓球界に衝撃を与えた抱腹絶倒の連載コラム「奇天烈逆も〜ション」を編纂した「ようこそ卓球地獄へ」(2014年発刊)からの掲載です

■Profile いとう・じょうた

1964年岩手県生まれ。中学1年からペン表ソフトで卓球を始め、高校時代に男子シングルスで県ベスト8。大学時代、村上力氏に影響を受け裏ソフト+アンチのペン異質反転ロビング型に転向しさんざんな目に遭う。家電メーカーに就職後、ワルドナーにあこがれシェークに転向するが、5年かけてもドライブができず断念し両面表ソフトとなる。このころから情熱が余りはじめ卓球本を収集したり卓球協会や卓球雑誌に手紙を送りつけたりするようになる。卓球本収集がきっかけで2004年から月刊誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。世界選手権の[裏]現地リポート、DVD『ザ・ファイナル』の監督なども担当。中学生の指導をする都合から再びシェーク裏裏となり少しずつドライブができるようになる。2017年末に家電メーカーを退職し卓球普及活動にいそしむ。著書に『ようこそ卓球地獄へ』『卓球天国の扉』がある。仙台市在住。

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