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【People】塚原清文[P4MATCH代表] 多くの人が卓球を楽しみ、続けられる環境を

卓球王国2025年3月号掲載(文中敬称略)
スマートフォンひとつあれば、大会開催と運営、申し込みが簡単にできる『P4MATCH』。この画期的なサービスの開発者であり、同社の代表の塚原清文に話を聞いた。
■Profile つかはら・きよぶみ
1972年12月9日生まれ、栃木県河内町(現在は宇都宮市)出身。中学から卓球を始めて、3年時には団体とシングルスで関東大会に出場。高校卒業後に卓球から離れたが、パソコン通信を経て卓球を再開。大会の申し込みや運営の大変さを痛感すると、その解決策としてスマートフォンで大会開催、運営、申し込みができる『P4MATCH』を開発する

「卓球の試合に参加するのって、なぜこんなに面倒なんだ?」
それがきっかけで、卓球大会に特化したシステムの開発を始める

 幼少期から父親が趣味で卓球を楽しむ姿を見て育った塚原が、本格的に卓球を始めたのは地元中学の卓球部に入ってからだった。熱心な指導の先生の下、男女で150人の部員と一緒に汗を流した。
 「練習は厳しかったけれど、卓球の魅力に引き込まれて夢中でやっていました。3年の時は団体で県優勝、シングルスでも3位になれて関東大会に行くことができました」と塚原は当時を振り返る。
 高校進学の際には県内の強豪高からの勧誘もあったが、両親からパソコンを買ってもらえることを条件に、県立高を選んだ。「当時、パソコンはかなり高価なものでした。ぼくは卓球とパソコンで天秤をかけて、ゲームがしたくてパソコンを取りました」と笑う。高校でも卓球部に入ったが、「まったく練習しないで試合だけ出ている状況だった」(塚原)
 高校卒業後は東京のゲーム関係の専門学校に進学し、卒業後はゲーム会社に就職。ゲームのプログラミングに明け暮れて、ラケットは一切握ることがなかった。
 塚原が再びラケットを手にしたきっかけは、ゲームソフトの評判を見るために利用していたパソコン通信だった。卓球掲示板を見つけると、懐かしさもあり書き込みをしてみたところ、そこから交流が始まり、練習に顔を出すようになった。
 「30年も前のことなので、当時パソコン通信をしていた人は年上ばかり。それも会社経営者も多くて、卓球の練習後にそうした人たちとお酒を交わして話すのが楽しかったんです」(塚原)。中学時代の卓球熱を思い出したかのように、再びラケットを手にした塚原は地域の試合に出場する機会が多くなっていった。
 塚原の人生が大きく動き出したのは、42歳でゲーム会社を辞め、失業保険を受けていた時期だ。その間に卓球の大会に頻繁に出場するようになると、ある不満が芽生え始める。「卓球の試合に参加するのって、なぜこんなに面倒なんだ?」(塚原)。参加申し込みが郵送で煩雑であることや、大会情報を見つける難しさに直面。せっかく出場した大会も組み合わせに偏りがあったり、進行がスムーズに行われないなど問題点が少なくなかった。これらを解消する良い方法はないかと考えるようになっていった。それがのちの『P4MATCH』という卓球大会運営のプラットフォームの誕生につながった。
 2015年当時、スマートフォンの普及率が50%を超えていたこともあり、塚原は自らが感じていた問題点を解消するためのアプリ開発を思いつく。もともとゲームのソフト開発を手掛けていたため、自分で卓球大会に特化したシステムを作っていった。最初は地域の大会の利便性を高める目的で始めたサービスだったが、開発したシステムを使って初めて主催した大会の参加者から「すごく良かったよ」と言ってもらえたことで、事業としての展開を決意する。
 「『P4MATCH』はレーティングシステムを活用し、初心者から上級者までの選手が楽しめる仕組みを提供するサービスです。地域や年齢を超えた仲間との交流、新しい地域に移った人たちが卓球を続けるきっかけを提供するなど、多くの人が卓球を楽しみ続けられる環境を整えています」(塚原)
 中学時代に培った卓球への情熱の再熱と、社会人として得た視点。それらが融合し、塚原の人生は卓球を中心に輝きを増している。