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【People】米塚雅弘:地道にチーム力を引き上げた「ミスター朝日大」
卓球王国2025年3月号掲載
米塚雅弘[朝日大学卓球部監督]
まさに朝日が昇るような目覚ましい活躍を見せる朝日大卓球部。朝日大OBであり、大学卒業直後から監督を続けるのが、米塚雅弘だ。
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朝日大を卒業した年に監督に就任して16年。夫婦で朝日大を強豪校に育てる
北海道出身の米塚は、小学3年時から地元の「TTC東和クラブ」で卓球を始め、公立中卓球部の名指導者・大橋宏朗が監督を務める上磯中に進学。固いショートと安定したフォアドライブを武器にする技巧派ペンドライブ型で、チームの主力として活躍。全中と中学選抜では、公立中ながら2位と3位に2回入るなど、上磯中全盛期を支えた選手だった。
高校は地元を離れて岐阜県の富田高に進学し、インターハイではシングルスベスト32に進出。そして同じ岐阜県内の朝日大に進学した。富田高と朝日大は系列校ではないが、当時、名将・吉田國男が監督を兼任していたことから、米塚も誘われて進学したのだ。
なお、朝日大卓球部は女子が先に強化を開始しており、その一期生が元全日本ランカーの樋野真弓(現姓:小塩/遥菜と悠菜の母)。米塚は男子強化の初期メンバーだった。学生時代、全日本では混合ダブルスでベスト16に入った。
「実は富田高校に入った当初から、吉田先生に『将来は指導者になったらどうか』と言われていたんです。大学を出てから実業団でプレーすることも選択肢にありましたが、監督からたびたび言われたこともあり、『指導の道も良いな』と思うようになりました」(米塚)
こうして2009年春、朝日大卒業と同時に米塚は朝日大職員となり、吉田監督のもとでコーチとして指導を始めた。そして半年後には吉田監督が勇退し、米塚が引き継ぐことになった。
「当初、選手は一緒にプレーしてきた後輩たちだったので、監督という立場は難しく感じました。また、吉田監督時代はレベルの高い選手が集まっていましたが、私が学生を募集する立場になると、最初はなかなか勧誘がうまくいかず厳しかったですね。男女両方を見る難しさもありました」
しかし米塚は、日本リーグで最高殊勲選手賞を受賞する活躍を見せていた馮暁雲と11年に結婚(現:米塚暁)。12年岐阜国体に向けて暁が岐阜チームの指導に参加するようになり、朝日大のコーチにも就任した。夫婦での指導体制となり、次第に朝日大のチーム力は向上。特に近年は、岡野俊介が23年全日学優勝、24年準優勝、25年全日本ベスト8、浅田真奈が24年全日学選抜3位など、個人でも全国上位に食い込む選手が出てきている。
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「吉田監督が始めた日本リーグ参戦のおかげで、トップ選手と試合をし、同じ会場で練習することで、目標が明確に見えてくる。強化の良い機会になるし、『日本リーグに出たいので朝日大に入りたい』という学生もいます。大学の理解や支援に感謝しています。
うちに入る学生はみな卓球が好きで、自主的に練習します。朝日大に入ったからには卓球で伸びてほしいので、妻とともにできる限り練習場に出向いて指導しています。
ただ、卒業後も選手を続けられる人は一部で、多くは一般就職です。就職にせよ、卓球を続けるにせよ、人間性は重要です。周囲から応援されるような人になってほしいですね」
チームの目標は、まずはインカレでベスト4以上、そして優勝を狙う。
「ぼくひとりではここまで来られませんでした。特に毎日指導してくれる妻には感謝しています。直接言うのは恥ずかしいですけど」と笑う米塚。監督自身が謙虚な人柄で、周囲の応援を受けながら、選手たちとともに目標に向かって地道に歩み続けている
(文中敬称略)
米塚雅弘(よねつか・まさひろ)
1986年5月28日生まれ、北海道函館市出身。小学3年で卓球を開始し、上磯中時代は中心選手として活躍、全中と中学選抜で準優勝と3位が2回。富田高に進学し、インターハイシングルスベスト32。朝日大時代に全日本混合ダブルスベスト16。大学卒業の翌年から朝日大監督を務め、強豪チームへと育てあげた