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【People】行則里志 [広島商業高 外部指導者] 地元広島への深い愛情を胸に、50年の指導者経験を次世代へと伝える

卓球王国2025年4月号掲載(文中敬称略)

早稲田大時代にインカレで優勝、全日本学生で3位など、輝かしい成績を上げた行則里志。実業団チームからの勧誘を断り、大学卒業後は故郷の広島で教員の道に進むと、卓球部監督として公立校をインターハイなど全国に導いた。
■Profil ゆきのり・さとし
1952年11月16日生まれ、広島県出身。小学生から卓球を始める。広島商業高で県優勝、全日本ジュニア5位、国体準優勝。早稲田大では関東学生リーグ、インカレで優勝し、シングルスでも全日本学生選手権で3位になる。大学卒業後は広島に戻り、高校の教員へ。公立校の指導者として実績を上げながら、県内、中国地区などの要職を歴任。現在も広島で指導と普及に携わる

関東学生リーグ戦、インカレ優勝など早稲田大の主力として活躍。
大学卒業後は地元広島で教鞭をとりながら、卓球部を全国大会に導く

 ある日の夕暮れ、家の隣にある小学校の体育館に灯りがついているのを見つけ、兄と一緒に行ってみると、卓球をしている人がいた。それが、行則が3歳の時の記憶だ。家に帰ると、ちゃぶ台の上でかまぼこ板をラケット代わりにして、兄と卓球を始めたという。
 その時に卓球をしていたのが、近所に住む早稲田大卓球部OBの八杉善次郎だった。この出会いが、行則の人生を大きく変えることになる。
 「小学校高学年になると、八杉さんの母校である福山誠之館高で練習させてもらい、本格的に卓球を学びました。そして中学で卓球部に入ると、2年生からは県内で負けなくなりました」(行則)
 高校は、卓球の強豪校である広島商業高に進学。福山市の自宅からは遠く、両親が反対したが、学校の近くに親戚がいたため、下宿で許しを得たという。
 「広商(広島商業高)は厳しい練習で有名でしたが、そこで技術を磨き、精神的に鍛えられたことで、すぐに結果が出ました」という行則は、全日本ジュニアで5位、国体で準優勝といった成績を収めて、全国区の選手になっていった。
 大学は、幼い頃から憧れていた早稲田大を目指した。高校卒業後に東京に出て、三畳一間のアパートで過ごしながらアルバイトと勉強を続け、1年後に無事合格した。
 行則は早稲田大の主力として関東学生リーグ、インカレで優勝し、全日本総合団体でも準優勝。個人戦では2年時に全日本学生選手権で3位に入るなど、順調に成績を残した。
 「大学では、卓球に打ち込みながら教職課程も履修し、将来は教師として卓球を教えたいという目標を持つようになっていました」という行則は、実業団の強豪チームから入社の勧誘を受けたが、すべて断った。
 「浪人時代、そして大学生活を送る中で、親にはとても負担をかけていたと思います。また、名前の“里志”には、将来は故郷で恩返しを、という思いが込められていたと思いました」(行則)
 大学卒業後、広島の公立高校で教鞭を執りながら、卓球部顧問として指導を始める。42年間で5つの公立高に勤務し、県大会優勝など、数々の成果を上げた。また、全国高体連卓球専門部の理事や広島県卓球協会の常任理事などを歴任し、卓球の普及にも尽力した。
 そんな行則の指導のモットーは、「基本に忠実であること」、「選手の人間形成を重視すること」。「技術指導だけでなく、人生観や生き方についても指導してきたつもりです」と語る。
 2018年に退職後、日本卓球協会の指導者養成委員会に招集されると、コーチング教本の作成に携わった。そして、「50年の指導経験から得たものを後進に伝えたい」と指導者の養成、普及活動の仕事を続けた。
 昨年妻を亡くし、しばらくは体調を崩して休養していた時期もあったが、「もう一度、広島に恩返しをしたい」という思いから、指導を再開。
 卓球への揺るぎない情熱と、地元広島への深い愛情を胸に、行則は今日も活動を続けている。