ロゴ画像
卓球王国PLUS > 読み物+ > 【People】德田 靖 : 指導者、審判員、そして用具委員。卓球界を多方面から支える「影の立役者」
記事見出し画像

【People】德田 靖 : 指導者、審判員、そして用具委員。卓球界を多方面から支える「影の立役者」

卓球王国2025年4月号掲載

全日本(ダブルスの部)ではラケットコントロールを担当した德田

2024年の全日本男子シングルス決勝戦、張本智和(智和企画)と戸上隼輔(井村屋グループ)の壮絶な戦いは、今も記憶に新しい。その試合の主審を務めたのが德田靖だ。

 德田は1975年、岩手県雫石町に生まれた。卓球を始めたのは中学時代。卓球をしていた従兄弟が全国中学校大会(全中)に出場したことをきっかけに、自らも卓球部に入部し、本格的に練習に打ち込んだ。
 高校でも卓球を続け、先輩たちはインターハイに出場。しかし、德田の代では出場が叶わなかった。「単純に努力が足りなかった」と当時を振り返る。
 高校卒業後は卓球とは遊び程度の関わりしかなかったが、地元の町役場に就職したことで再び卓球と深く関わるようになる。
 就職して数年後、かつて同じ卓球部だった職場の先輩に、母校である雫石中学校での指導を手伝うよう誘われた。德田は「中学生くらいなら」と軽い気持ちで引き受け、指導を始めることとなった。
 ちょうどその頃、全国各地でラージボール卓球が普及しつつあった。それまでずっと卓球に携わってきた德田は、公務員としての職務の一環として、地元でのラージボール大会を企画。運営も任された。
 大会運営にあたり「必要な資格だと思った」と、2006年に「公認審判員」の資格を取得。さらに09年には「上級公認審判員」、13年には「公認レフェリー」の資格も取得し、全日本選手権などの大きな大会でも、岩手県代表として審判を務めるようになった。
 審判員は、試合の公平性を保つ重要な役割を担う。ジャッジのミスひとつで試合が台無しになる可能性もあり、選手と同様に常にプレッシャーがつきまとう。それをあえて引き受け、「完璧を求めてやりたいという思いは常に持っている」と全力で責務を全うする。
 「審判は仕事ではないし、趣味でやっているわけでもない」と語りながらも、「黙って試合を見たらいいのに、審判ばかり見ている時がある」と、心の奥底にはやはり自身の役割に対する一方ならぬ熱意があるのだ。

2024年全日本男子シングルス決勝で主審を務める徳田。「とにかく無我夢中でした(笑)」と当時を振り返った


 また、公認レフェリーの資格を取得した德田は、2014年にボランティア採用で世界卓球東京大会の「ラケットコントロール業務」も担当。その縁で、翌15年より日本卓球協会の用具委員会の委員として、オリンピックの選考会など、さまざまな大会に帯同。審判員とも関わる業務を通じ、経験を積んでいった。
 德田は2007年、クラブチーム『雫石ジュニア卓球クラブ』を設立。地元の仲間と協力しながら、現在は雫石中学校卓球部のコーチとクラブチームの指導を兼任している。
 さらに、2021年には長年勤めた町役場を早期退職し、行政書士として独立。現在は、行政書士としての仕事をこなしながら、卓球の指導や後進の育成、審判業務も続けるなど、多方面で卓球に携わる日々を送っている。
 今後については「仕事(行政書士)で卓球やスポーツに関連する手続きを専門に受任できれば」と、ここでもまた、「卓球界に貢献したい」という思いを語った德田。彼の真摯に卓球と関わる姿勢は、これからも変わらない。 (文中敬称略)

Profile とくた・やすし
1975年1月17日生まれ、岩手県雫石町出身。産業能率大卒。雫石町立雫石中で卓球をはじめ、岩手県立盛岡商業高でも卓球部に在籍。地方公務員として勤めながら、母校の卓球部の指導に携わる。 07年に「雫石ジュニア卓球クラブ」を設立。現在は岩手県卓球協会副理事長兼事務局長、審判委員長も兼務。公認レフェリー、国際審判員