
50年で幕を閉じた「城山杯」と、子どもたちを愛した大貫重雄の卓球人生
卓球王国5月号掲載

Text by
今野昇Noboru Konno
栃木県宇都宮市の西にある城山地区で生まれた「城山卓球クラブ」(以下城山クラブ)。1976年に「城山クラブ」が主体となり、「城山杯」が開催され、50回目を迎えた今年が最後の大会となった。1500人の参加者を見つめる75歳の大貫重雄。「城山杯」は、大会主催者である城山クラブの大貫会長の継続的な情熱そのものだった。
五輪代表の藤沼亜衣と平野早矢香を輩出した城山卓球クラブ。1500人の選手が集まる城山杯
50年前、1976年に栃木県の城山で始まった「城山杯」。同年に設立された城山クラブが主催で、最初は城山中卓球部のOBが集まり、学校の体育館で開催されていた。しかし、年々参加者が増え、県の体育館を使用するようになった。「その城山杯で勝つような選手を育成する目的で城山クラブにジュニアチームを作った」と、城山クラブの三代目の会長である大貫重雄は言う。
そして、大貫が大会に関わるようになり、県レベルだった城山杯は東京などの他県からも参加者が訪れるようになり、第7回大会からはホープス部門が始まり、その後、カブ、バンビ、カデット、ジュニアと種目も増えていった。
後援に栃木県卓球連盟や宇都宮市卓球協会が名前を連ねるが、単独のクラブ主催で50年間続けている大会はおそらくないだろう。この大会は全国的に有名になり、参加者はいつしか北海道や沖縄からも駆けつけ、1日では終わらないため、2日間かけて開催するようになった。参加した選手には1試合でも多く試合をしてもらうために全種目をリーグ戦からスタートし、そして、今年も参加者は1500名に達していた。